 ■アラシヤマ周辺の話なのですが。彼の性格が突飛なのは仕方ないにせよ、覇王の素質を持つシンタローなら割と受け流せるかもしれません。北関東出身である事を小馬鹿にされると、三県出身者は非常に怒るので、あくまで「シンタローなら」という前提です。
アラシヤマの友達が欲しいと言う願望をそれとなく叶えつつ、彼を戦場に赴かせるのは左程的外れではない様な気すらしてきました。
ならばシンタローとアラシヤマの間には齟齬や行き違い、感情のもつれなどは起きにくい訳で。シンタローの外交的な振る舞いに戸惑うアラシヤマ、シンタローが皆から好かれるのはマジックの息子と言う依怙贔屓故だ、というすごい勘違いというかねたみを披露するアラシヤマですら、シンタローの前では一個の歯車でしょう。
何故内輪?でアラシヤマがもめるかって言えば、ミヤギやコージならアラシヤマの実力を認めつつ敬遠するくらいでも、トットリにはアラシヤマが許しがたい何かだからかもしれません。
伊達衆はPAPUWAの一巻で「四年間集まっていない」という恐ろしい発言をしてしまっています。コージなので記憶違いもあったでしょうが、やはり彼等の立ち位置はシンタローの仲間と言うより、マジックの部下といった方が近いのかもしれません。
■生活上、あまり時間がないと読書するのが病院の待合室や、職場の休憩中くらいになります。そんな時間、5分でも10分でも構いませんが、本を開きたくなります。
疲れているとそれも出来ず、本にしおりを挟んで居眠りをします。中高大と多分内申書がえらい事になりそうなくらい居眠りと遅刻をしましたが、成績さえ落とさないければいいと思っていました。
社会人でその考えはグレイというかアウトなので、頭の柔らかいうちに、ちゃんとした生活態度を身に着けるべきだったと、ちょっと思います。したい事のためなら、周囲の評価や疲労感など辞さないと思っていられたのは若いうちだけだったと、今知りました。
■癒されたい、そんなお金も時間もない、京都鉄道博物館に行って数か月分のお小遣いを使った、とぼやきかけていましたら、以前聞いた講演会のお話を思い出しました。
話の前後は忘れましたが、「あたし人生で一回も癒された事ないと言う人がいるかもしれないけれど、人は気が付きにくいちょっとした事で結構癒されているもの」、とあるカウンセラーさんが言っていたと思います。
どんな講演会だったか全部思い出せないのですが、自分の特定の不満まで解消させてもらえるような、いい講演会だった覚えがあります。
知識を得たい、勉強したい、吸収させてもらえる様な人に出会いたいと渇望している時は、大体自分がどうかしている時なのかもしれません。そんな時の私に出会った人は、実に迷惑だろうと思います。
レストランでないのだから、人と人でこっちの注文通りの何かが出てくることは無いと思います。自分が考えていた以上の何か返ってくるかもしれませんし、優しい沈黙を返してくれたなら、それもいいと思います。
頭に血が上っている時は、電車が見たくなります。温泉に入って、本を読んで、同伴者は鉄の固まりがいいです。沈黙が苦にならないと言うか、偉大なる路線、高貴なる車両であっても乗客に対しては基本的に平等で、 一等車や二等車、グリーンか自由の差はあれど、カッとなった時に上越新幹線を見るとひどく安心します。
彼の越えて来たものと、これから立ち向かわざるを得ないものを思い、自分も頑張ろうと思えます。 |
|