■ローマの休日で、医者だの世話役だのから逃げ出したのはアン王女ですが。実にグンマを投影させたいお姫様で、グンマもボブカットになった後、医者のいない広場でジェラードを食べて欲しいものです。
キンちゃんはと言うと。代々の仕事を日中こなし、夜は医者兼世話役からミルクとクラッカーをもらって眠る生活に満足していそうな気がします。気に入らなかったら医者ごと食べてそうです。
■ハレ小説を書く参考になればと、ライオンについて考えていました。どうぶつの森でもありましたが、ライオンは一夫多妻のファミリーで、ファミリー内の雄ライオンは基本的にリーダーライオンとその直系の子供ライオンだけだったと思います。
マジックが新しいファミリーのリーダーとして踊り出た時、多分ハレ・サビは小さ過ぎてライバルになり得ず、子獅子の様なものだったのでしょう。ルーザー様はもともと群れるのが苦手で、本人の思いはどうであれ身勝手な男と思われていたので、もう立派なライバルです。
ハレは永遠に子獅子というか、マジックに守ってもらう存在なのかもしれません。ハレが悪いとか弱いとかでなくて、そうしなければハレも長兄獅子に殺されたろうと思います。
■スペースオペラと言えばナデシコ、モーレツ宇宙海賊、他マクロス、松本零士作品少しを見たくらいです。
詳しくありませんが、限りなく科学色の強いファンタジーなのだろうなと思います。トップをねらえ!の頃は携帯用電子アルバムなんて夢の様なものだったと思いますが、今はスマートフォンがあるので何でも出来ます。
昔のセーラームーンでマーキュリーが持っていた小さいパソコンも、今では普通のものです。変装ペンや変身ブローチはありませんが、GPS的なものは普通にあるので、特殊な人でなくても「気で居場所を探す」事が出来ます。気と言っても電気ですが。
以下は雑感です。
■スペースオペラのある種の無茶苦茶さ、破天荒さは南国の原作者に向いていると判断されたのかもしれない。ファンタジーこそ、設定を一から練らねばならないので逆に創作が大変なのだと聞くけど、ある程度までチャン5はシンプルだったはずだ。
男の子が生まれた惑星の危機を救うために、大人に背を押されながら旅立つ。これ以上シンプルな物語はないんじゃないかと思うけど、肝心な事が足りない。
■男の子は自分が生まれた惑星に愛着が薄い。何故ならほぼ幽閉状態で育っていて、育ててくれた博士はもう亡くなっている。知人友人が出来ても、もう片っ端から亡くなったはず。
■惑星ブルーを本気で愛した人は伊達だと思うが、伊達を本気で愛したエドガーのスタミナ切れ、ブチ切れはチャン5の終幕を意味する。
■エドガー、紅達兄弟は特にブルーに愛着があるという訳でないと思う。それぞれの星、それぞれの主がいるという設定だったが、5つの星、5つの政権の思惑、5人兄弟の思いとか、せめて描き切るためには「2つ」くらいに絞ればよかったのでは。
■主人公に心の通う家族や恋人がいないと、ここまでもろくなるのかと思う。スペースオペラの醍醐味は、ハードなファンタジー設定の中を舞い踊る主人公達の「意志」であって、意志は1人で抱けるものではない。
宇宙空間まで切り裂く不動の意志を持った男が、ドクター高松であるというなら異論はない。異論はないけど、キンちゃんが側にいない高松はもう気持ち的には死んでいるだろう。
ソープオペラ、スペースオペラというものの、結句メグレ警視の言うように全ては人間についてなのかもしれない。ファンタジーだからギャグだからではなくて。 |
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