 ■温泉、風呂について書かれた本を何冊か読みました。いずれも読みごたえがあって、成程と思わせます。ある本では高度成長期の温泉ホテルの乱立を嘆き、またある本では悪名高い循環型の温泉について、技術や資源の面から思えば必ずしも悪くないとあり、沢山読むもんだと思いました。
今でこそ各家庭にシャワーがあってお湯が出て。灯油もガスも料金さえ払えば十分に使えます。自分が幼少の頃の自宅の風呂にはシャワーが無く、お湯の出る蛇口もありませんでした。今でも昔からの共同風呂はそんな所もあるでしょう。
人生で最も運動し、汗をかいていた頃。シャワーもなく、デオドラント的な事も行きわたらず旧式な風呂に頼っていた昔を思うと悲しくなります。
おまけに当時は群馬でも養蚕やコンニャクが高値で売れていて、我が家も漏れずに行っていました。上の世代の汗と泥と、養蚕のために常に火を燃やしていたので発生する煙を浴び、学校で近代的な浴槽に恵まれた同級生の前に出て、無事いじめられました。
シャワーやお湯が無かろうと、美しい女性は昔からいただろうから。あれこれと自分の醜女ぶりに理由をつけるより、温泉と夏コミに行きたいです。
■先日から高松を理解しようとして弁護になっていますが。二次作品なら狂気のための狂気、確信犯的なものも好きです。リアルにいたら怖いですが、谷崎にはよくあるなと思いました。
思いつくのは刺青と痴人の愛でしょうか。谷崎のフェチ的な面は初期から後期までまんべんなく出ています。比較的おとなしい家族小説の細雪ですら、雪子の見合いに対して皆尋常じゃない気合いとプライドをかけています。
蒔岡家のために見合いを成功させると言えば聞こえがいいですが、雪子の意思はギリギリまで表に出ず、見合い相手の男達はほとんど恥をかくために劇中に踊り出る様なものです。
全ては雪子の周囲が、彼女の見合いという主戦場で一旗揚げるための狂気の様にも思えます。描写が微笑ましいので気になりませんが、菅野未亡人まで雪子の見合いに参戦する様子はもう笑いがこみ上げます。
■刺青では、刺青を入れられる娘さんと彫り物師には会話が余りありません。娘さんの秘めたる狂気と、彫り物師のフェチズムの高まりは到底表に出すものでも、おしゃべりして出てくるものでもなさそうです。結果的に娘さんが自分の刺青を受け入れたからいいものの、彼のやっている事は誘拐、暴行に他なりません。
■痴人の愛も、ナオミの身分のなさに譲治が付け込んだと言うか。寄る辺のない女性が金持ちそうな男性に頼らざるを得ないと言う事実を忘れ、不貞な女性に不幸にされた自分、と言う顔の譲治は嫌な奴です。
何故ナオミに英語を教えたのか。普通の日本女子である彼女を譲治はどうしたかったのか。自分の異常性に彼女を付き合わせただけだと思いますがどうでしょう。彼は「普通の日本人の家族」の暮らしを否定してやまないのだとしても、孤独になるのは余計嫌なのだろうと思います。 |
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