■グンマが高松を許したかどうか、私には分かりません。ただ言えそうなのは。
・グンマの感情が最も高ぶっていた時、高松は恐らく入院中だった。入院中だから会話できないと言うなら明暗はないので、グンマと高松は話そうと思えば話せる。
・でもふせる高松の側にキンちゃんがいて、「こんな大怪我したのだから大抵の罪のつぐないにはなりそうなものだ。俺の父さんがきっちり高松を罰したのだから、怒ってやらないで欲しい。長い話は高松の回復後にしてほしい」とか言い出したとか言い出さなかったとか。
・回復したらしたで、たまった仕事とキンちゃんの育成に情熱を傾けるドクター。マジックはコタの主治医に高松をつけ彼を干さない様であるし、サビもジャンと臆面もなくいちゃついている。シンタローはコタの容体を思って沈鬱。
何というか。誰かを許せないとしても、「許せない、許しがたい」と言う感情はストレスです。聡明なグンマは周囲に抗わず、高松との距離は「反抗期」と言う事にして徐々にとったのかなと思いました。
■メグレ警視ものが好きで、手に入るものは大体読んだと思います。メグレが生き生きするのは、市井の人達とやりとりする時です。警察の偉い人や政治家と関わるとメグレはメグレらしくなくなります。
上流の人達が犯した罪を相手取る時はまさにそうで、いつも辞職覚悟で慎重かつ窮屈そうです。マジックが滅多に罪に問われないのも、そんなあたりかもしれません。マジックは持ち前の武力プラス、一大で築いたコネもすごそうです。
サビが未成年略取で起訴される事は絶対にないだろうし、高松も「グンマを納得させるため」だけに真似事だけされ、保釈されてしまいそうです。
■くどいですが、志賀直哉の話です。暗夜行路を読んだのは初めてでしたが、高校の時の教科書に正義派が載っていて、初めて読んだ志賀というとそれだったかもしれません。正義派は大変難しく、今読んでも理解出来ないかもしれません。
漱石の時に甘ったるい文章が好きで、きびきびした志賀の文章は滅多に読まなかったと思います。暗夜行路で謙作が鳥取に行った時、彼は1人で行きました。漱石の小説なら、多分一人では行かなかったでしょう。
大山の語りといえば、竹さんかもしれません。妻が恋多き女性で、傍から見ればいらない苦労をしているようにしか見えないのに、竹さんは奥さんと別れず仕事も家事もこなし、妻の恋を認めているのかいないのか、穏やかに暮らしていました。
最初、竹さんは謙作、竹さんの妻は謙作の生母や直子に重ねているのではと思いました。女性達に苦しめられた男、それが謙作であって、いずれ謙作が竹さんの様に悟りの境地に入るのかと思いました。
しかし読み終わってみると、むしろ竹さんの奥さんが謙作で、竹さんが直子の投影なのかもしれないと思いました。生母も直子も、決して夫を裏切っての行為ではなかったのは謙作も理解しているはずです。
むしろ一人で怒り続け、不愉快を露わにし、妻子も家も仕事もあるのに、鳥取や尾道に放浪を続ける謙作の方が、罪が重い気がします。罪を増やし続けて亡くなった竹さんの奥さんと、そんな奥さんに何を思ってか献身を尽くした竹さんは、まんま謙作と女性達なのかもしれません。 |
|