■例年なら7月の三連休前には、夏コミの入稿を終えていました。今年は何故か色々が手間取り、まだ表紙が出来ていません。いつもやっている事なのに、制作に慣れて手早くなると言う事がありません。入稿したら、温泉に行って来ます。
■今日、キンちゃんは幸せだなあと思いました。今までなら高松が側にいてよかったくらいしか思いませんでしたが、高松はどうしても立場が部下なので、話していても遠慮や上下差が常にあります。年の差カップルみたいでそういうのも好きですが。
もしキンちゃんが激怒したり、何かの不愉快を訴えても、シンタローやグンマが追従めいた事を言いだすのはないと思います。キンちゃんに非があれば指摘するでしょうし、キンちゃんがどうと言うことがあろうとなかろうと、対等に付き合ってくれるだろうと思います。
ルーザー様にはそういう対等の相手が、一人もいなかったのだろうと思わざるを得ません。性格的に社交性が薄いとも言えますが、マジックの大粛清の後で4兄弟にものを申せる男は壊滅したと思います。サビとハレは双子なので、お互い好きな事言い合いそうですが。
高松がもう少し大人になっていて、キンちゃんと言う最大の味方が順調に生まれ、ルーザー様にキンちゃんの母代わりとして言わねばならない事が増えていたら、ルーザー様は帰ってきてくれたかもと思います。
■本って読んでいる最中より、後で思い出した時の方がより理解している気になります。高校の国語の授業の様に、先生やクラスメイトと喧々諤々出来た頃が懐かしいです。
風立ちぬについて。どうしてこの原作から、ジブリになったのかと言えば、監督の采配だからと言えそうです。ジブリと言えば薄暗い都市伝説が時々漂いますが、あれらってそんなにデタラメでもないなと思います。
うがっていますがジブリ映画では。
・母がは長期入院中、父は研究生活。小学生の姉娘と幼稚園にも行っていない妹娘が、暗い田舎屋で留守番。
・13歳の少女がわずかなお小遣いだけ持って、特にプランもなく大都市に下り立つ。おソノさんに出会ったからいいけど、キキは補導対象か、よくない人に出会う可能性もあったのでは。
などがパッと思いつきます。魔女宅は女性映画と言いますが、キキは女性と言うにはあまりに幼いです。劇中でキキが初潮を迎えるらしい場面がありますが、初潮をもって少女が大人になったって、当時でも古典的だったろうなと思います。
風立ちぬが大人のアニメだというより、今までのジブリが可愛らしすぎたのだと思います。メイが七国山病院に行ってしまう時、迷子になったメイの居場所は、猫バスに乗って初めてたどり着けました。
つまり普通の捜索方法では、メイはそのまま行方不明になっていたかもしれません。そんな肝心な所にファンタジーをからめてきて、一種魔法の様に事件を解決してくれるのが今までのジブリだったと思います。
風立ちぬの「薄情さ」は、実はずっと前からジブリ、監督にあったものだと思います。島本須美さんのナウシカの演技、日高さん、高山みなみさんの溌剌としたお声、などで見えなくなっていただけで。 |
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