■ルーザー様が生きているとしたら。高松は、もし自分がキンちゃんのお側にいる事でキンちゃんがいじめられでもすれば、即刻四国に帰りそうです。
高松は、ルーザー様との間柄を冷やかされたり非難されたくらいでは早々動揺しないと思いますが、他ならないキンちゃんのためになら、高松はルーザー様と喧嘩してでも彼にいいようにしそうです。
または単なる内縁ではない事を証明するかのように、ガンマ団内外でルーザー様と同量の仕事をこなしてみせるとか。
常識も外聞も気にしないはずのルーザー様が、高松のいつもと違う顔を見て、流石にストップをかけそうです。キンちゃんも、四国まで高松を探しにお父様と行くんだろうかという不安を抱えるより、高松にはいつも通りでいてほしいだろうと思います。
■名作は、竹淵の妄想をはかどらせるためあるのではないと思いますが。井上靖のしろばんばのおぬい婆さんは、別に嘘をついている訳ではない点に好感が持てます。彼女は周囲から、悪い女だと散々言われたと思いますが、小さな部落に女一人で来た時点で異端だっただろうと思います。
苦労し抜いたおぬいには、家老の娘で苦労知らずのおしなに相当な反感があったろうと思います。多分反感をむき出しにしただろうし、地元出身のインテリであった辰之助に皆の矛先は向かず、違和感はおぬい一人が負ったのでしょう。
主張する所は主張し、辰之助が正装する際は、袴を出してやり、自分もおめかしする時があればそれらしく振舞ったろう彼女が最後に出会ったのが洪作だと思うと、なんだかよかった気がします。
洪作はおぬい婆さんに会った時、もう5歳でした。彼は実母の七重に、最初から懐いていなかったのかと意地の悪い事を思います。老いて心身が弱くなった彼女に、徐々に洪作が反抗期を見せるのは微笑ましくもあり、洪作が彼女との別れを受け入れられる程成長していたのだと言う、一時代の終わりの悲しさがあります。
■井上靖のしろばんばを、図書館に返して来ました。続編の夏草冬濤を借りて来ました。自分は読書するならこの頃の時代を舞台にしたものが好きです。
細雪ではないですが、貧困や経済問題、国際問題を抱えた時代であっても、まだ日清・日露戦争の勝利の余韻や、WW1では戦勝国だった高揚が国内に漂っている感じがします。猫でも、猫が自分を日本海軍、ネズミをロシア海軍に例えて台所で狩りをする場面があります。気楽と言うか、まさしく時代が違います。
今読んでいるのは、林芙美子の浮雲です。別の本を読んだ時、「いい」と言われていたので借りました。物語の冒頭は敦賀だそうです。復員の場面と言う、漫画のサザエさんでしか知らない光景です。サザエさんはどちらかと言うとライトですが、磯野家はそういえば相当のエリート一家だった気がします。
波平さん、マスオさんは高学歴高収入、サザエさんは初期の頃だと、マスオさんのボーナスでミンクのコートやダイヤモンドを買ってもらっていた覚えがあります。妻が夫に何を買ってもらってもいいのですが、あの家をして普通は語れないと思います。
そして、久しぶりに女性作家の作品を読んでいます。まだ浮雲は全然冒頭です。まだインドシナに着いたばかりです。家庭を持たない女性の悲哀と言うか、冒頭の冒頭での女中部屋の一件は、荷風の小説には嫌と言う程ありますが、女性が語る場合は別物だなと思います。
紫式部は源氏や薫、匂宮を愛して物語を書いた訳ではないという説を思い出します。書きたかったのは華麗なる遊び人の冒険譚ではなく、苦しむ女性達の姿だったらしいです。読んでもそんな風には思いにくく、源氏は延々と罪を重ねます。
こうして女性作家のものを読むと、例えば康成や荷風の書く女性はウソかもしれないとふと思います。康成の希望通りの女性は少ないだろうし、荷風もあれは純然たる女性好きと言えます。どういう感じで浮雲が進むのか分かりませんが、冒頭からくじけそうです。井上靖の「ユーモラス」な文体が懐かしいです。 |
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