madeingermany

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...... 2016年07月27日 の日記 ......
■ あらすじ   [ NO. 2016072701-1 ]

■妄想ですが。ルーザー様が生きていたら、やっぱり随所随所でマジックとぶつかっていただろうと思います。ルーザー様にすれば「僕に出来る範囲で兄弟に尽くす」のだけれど、マジックには「絶対好きな事しかしない偏屈」に見えると思います。

マジックには、ルーザー様に父親の様な寛大さを示す義務はありません。お互い成人したのなら、後はどうとでもやり合うしかないでしょう。ただし放っておくとルーザー様が自暴自棄になるので、それとなく彼を冷ますしかなさそうです。

地方の系列の病院にでも、大層な理由をつけて、キンちゃんと高松と一緒に何年か行かせられる気がします。高松は目立ったキャリアを積めず、キンちゃんはエリートコースに乗れないというハンデを負うかもしれませんが、大多数の人間はそうやって地方で生涯を終えるのだと思います。



■三四郎で分からないのは、美禰子のどこが罪なのかという事でした。淡い感情に頼り過ぎる学生の様な野々宮、田舎者なのに馬力も行動力もあまりない三四郎こそ、美禰子への侮蔑じゃないかと思ったくらいです。

しかし美禰子は当時の女性とすれば、時間もお金もあり、家族は兄だけと言う自由ぶりです。美貌と聡明さと自由と度胸を駆使して、兄や広田の知人達と知り合った時点で彼女は責めを受けるのかもしれません。ちょっと口を利いたくらいで、彼女を自分のフィアンセか何かの様に信じる男達が悪いのではと思います。




■有名な日文を読もうとする時悲しいのは、今は簡単に研究論文がネットで読めてしまう事です。自分がその作品をよく読み込んでいないのに、先達の高説を目にしてしまうと、興味があるから論文を読んだくせに、その本を付き合うべき指針が定まってしまった様で悔しくなります。

漱石だけは義務教育時代に大体読んだので、自分なりに楽しみ方を知っている気がします。好きなのは行人ですが、あれはいわゆる粗筋で損している気がします。修善寺の大患を挟んでの作品なので、漱石自身も書いていて楽ではなかったと思いますが。



・行人のスポットライトを浴びるべき点は、一郎の思索の過程だと思う。元来聡明で、名家の長子だったために窮屈に育ち、妻ともしっくり来ない一郎が、血を吐く思いで到達した行動が、「妻を弟に譲る」事だったのだろうと思う。

どうせ学問も家族関係も嘘だらけなら、自分より妻と明るく接している二郎に妻を譲り、家も自分も再起しようと思ったらしい。自ら寝取られを希望する一郎は狂っているけど、「他人の妻が欲しい」漱石の願望が二郎に移されているので、一郎と二郎をセットにして読み進めるとあまり違和感がない。

漱石の小説の面白さは粗筋というより、異様なまでの神経戦だと思う。明暗も津田夫妻に「新婚」なんて睦まじさはない。唯一新婚らしいのは、延に初産が控えているらしい事くらいだと思う。インテリだから神経を病むのか、神経を病んでインテリに走るのか。漱石の小説の人物達は、心の内外の乖離の激しさがすごい。




■あらすじについて。本を読む時に何となしに事前に頭に入っていたり、雑誌やネットで紹介されているので知っている事があります。逆にせめて恋愛ものなのか、SFなのか、リアル志向なのかくらいは分からないと本が手に取れません。そう思うと未知の本についてイメージするのは、自分が思っているより実は大変な事なのかもしれません。



■本を読む時に、真っ先に目に入るのはタイトルです。漢字の持つパワーはすごく、写真やイラストは何の絵か分からない事があっても、漢字は読めさえすれば大丈夫です。

まだ読んでいませんが、水上勉の飢餓海峡が自分の書棚にあります。何となくあらすじは聞いていますが、タイトルだけですごいエネルギーを発しています。

学生時代、一時水上勉にはまって読み続けた事がありますが、文書のエネルギーがすごかったです。大人になったら、若狭や舞鶴に一度行きたいと念じました。今秋行って来ます。

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