■高松とグンマの精神的なバランスは、実に難しいです。高松は自分が最も大切にしているルーザー様やシンタロー(キンタロー)への思いをグンマに口外しないし、グンマも優秀なアイドルの様に、高松に余計な面は見せないと思います。
グンマは、ルーザー様やキンちゃんには逆立ちしても出来ない事が出来るんだなと思います。ルーザー様もキンちゃんも、マジックから家族としての愛情を引き出そうとして、大失敗しています。キンちゃんは高松がフォローに走れるくらい大人になっていたからいいけど、ルーザー様は文字通り爆死です。
グンマも南国後もし、「シンタローやジャンより自分を愛して」とマジックに請求したら、ただじゃ済まなかったと思います。山南の様なファン活動なら兎も角、マジックにとって自分への接近や求愛は、過去のラッコン叔父やミツヤとのトラウマを引き出すので、悪くすれば「お前も私の権力が欲しいのか」と言わんばかりに消されます。
南国のキンちゃんも、正直危なかったと思います。珍しくシンタローとマジックに距離があった時期だからよかったものの、普通に考えてシンタローに暴力を振るったとなれば、誰であってもマジックに殺されます。そうなれば高松でもかばいきれません。
■水上勉の飢餓海峡を読んでいたら、下巻出鼻でヒロインの八重が殺されました。彼女目線でお話を読んでいたので、今後の展開が予測しづらいです。この小説は犬飼の物語だと思いますが、八重の生き様もなかなかの女傑でした。
■週末は現美新幹線に乗っている場合でなくて、インテについて何かピクシブに上げなくてはと思ったのは、駅で現美の指定席券を買った後でした。
たまたま利用しようと思った宿泊先が満室で取れなかったから日帰りなものの、自分はリラックスしようとすると本当に全て忘れるのでバカだと思います。旅先で忘れ物、家に新幹線の切符や現金を置いたまま駅に向かったなんてのはザラなので、緊張して過ごしているくらいでいいのかもしれません。
現美が楽しみです。高崎まで来てくれなくてもいいから、上越新幹線で何か楽しい事があるのが嬉しいです。
■リキッドについて考えていました。南国ではそんなに出ない彼ですが、PAPUWAを理解する上では、彼への何らかの解釈が必要になると思います。
以下は雑感です
■リキッドの存在の「重量」は、即PAPUWAにおける原作者の分身故と思う。外の多くの漫画におけるキャラクター達も原作者の分身である事は稀でないけど、リキッドは最早分身と言うより、原作者本人が紙の上にいるのだと思った方がいい。だから、リキッドの指先ひとつでPAPUWAが転がされるのである。
■リキッドも原作者も、家事や仕事がそんなに好きじゃないんだなと思う。好きじゃないけど、家事や仕事をする事による賞賛は浴びるほど欲しいのだと思う。全て結果が出る前から大絶賛ありきなんだろうなと思った。
劇中でリキッドに浴びせられるのは、期待と好意と賞賛である。じゃあリキッドは劇中でどんな事をしたのかというと、実に難しい。物語のキーになるのはあくまでコタであるし、パプワ。子供達を南国から見守っているのはシンタローやマジックである。
でもシンタローやマジックには、現実の世界での義務や理想、宿命があるから、原作者が自分を投影するには少々キツイのだろうと思う。誰だって「人殺し」とののしられるのは、本当に自分が殺人者であっても苦痛だろう。リキッドを殺人者集団の男だと罵るキャラは、PAPUWAには存在しない。
■リキッドは何となく物語の外壁に沿って存在するだけで、激賞・大絶賛される。昔の赤の一族に出会った時も、傍観者そのものだったけど、満腔の愛をもって接してもらっていた。だって彼は原作者のアバターだから、愛されない・褒められないと言う事が絶対にない。
あっても、ちょっとした挫折程度の苦しみであって、とうとう書かれなかったコタの更生のお話のような、残酷な印象はない。
南国のシンタローも、本来シンタローがマジックを殺すべきだったと思うが、何故かキンちゃんがルーザー様を殺す顛末になった。父親の罪を断じ、新たなる人生をスタートさせる描写が必要だったのは、脇役のキンちゃんではなく、シンタローだったのではと思う。 |
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