madeingermany

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...... 2016年08月23日 の日記 ......
■ 一生分   [ NO. 2016082301-1 ]

■キンちゃんに冷たくする高松を妄想していました。あり得ない高松ですが、キンちゃんがシンタロー達と仲良く暮らせる様になれば、徐々に高松はそうするだろうと思います。グンマと高松の関係が、一族からも団員からも浮いていた様に、団員と一族は慣れ合えるものではないので。

総帥一族の権限の大きさを思えば、キンちゃんは理屈の上では高松の変化を理解しても、感情面では猛反発してきそうです。高松が姿を消して、あっさり過労と有鬱と辛抱の無さで体調を崩すキンちゃん。キンちゃんはグンマより頑健に見えますが、グンマは高松がいなくても大丈夫です。

寝付いているコタの往診がてら、お屋敷でふて寝しているキンちゃんを看に行く高松。隠居前の一騒動を最初からやり直すでしょう。




■荷風と言うと、本人はどう思うか分かりませんが花柳小説家です。出てくる女性達も大体玄人です。駒代が「座敷に出ている」と言えば、はいそうですかと読めます。

康成の場合、出てくる女性達が素人なのか玄人なのか、判然としない事が多いです。おしんではないですが、普段は農家のおかみさんでも、冬の間は温泉場に働きに行き、娘に言えない仕事もやむを得ない場合は、素人とも言えますし、玄人とも言えるでしょう。



康成の場合、出てくる女性達をある瞬間ごとに美のシンボルにしてしまうので、結局女性に素人と玄人の区別がなくなるのでしょう。漱石なら、絶対に劇中には素人の女性しか出しません。

谷崎も妙子を芸者なら大年増だと言ってのけるくらいなので、滑舌よく花柳を語る時はありますが、本人が交際した女性は全て一般の婦人だったとか聞きます。

自分は康成のそこが怖いです。生き生きした駒子が、島村の観察眼で切り刻まれる様に愛でられ、相思相愛と駒子が思った頃には、終わった花火の様に捨てられるのが。




■今日も康成を読んでいます。別の本で、昔の温泉の描写が康成にあると聞き、色々読んでみようと思ったのが始まりでした。山の音、雪国、伊豆の踊子等なら文庫ですぐに読めますが、狙っていた短編一個探したら、全集ごと出て来て。

もったいないから一項目から読んでいます。もともと読もうと思っていた短編を読む頃には、首まで康成に浸かっていて、温泉どころではなかったりします。




今の温泉は景気の良かった頃に、有名な温泉地がこぞってパワーアップした姿の残りらしいです。景気がよくない今、有名な温泉ホテルや湯治場が個人客メインにシフトしたり、半分ゴーストタウンになっていたりするので、康成の頃と温泉も二転三転しています。

つまり。今自分達が思う温泉と、康成の思う温泉は全く別物ではないかという事です。


■今の家庭には浴室があるので、日常的に共同湯を利用する地域はかなり少ないはず。東京でも昔ながらの銭湯は絶滅しかけていると言う。

■大体の二万円前後で泊まれる温泉ホテルなら、利用は一泊二食が普通なので、康成の頃の様に、何か月も逗留することは少ない。旅館でも余りOKしないのではと思う。

■温泉場=芸者=享楽、と言う時代は終わったのではと思う。伊東や下田には芸者組合もまだあるはずだけれど、とても康成の頃の様な「享楽」があるはずない。

■本当は温泉の利用は少なくとも半月くらい入り続けないと効き目が薄いらしいので、康成の頃の方が効果的なのだけど。いまは病気を草津に治しに行く時代ではなく、普通に病院に行く方が多いのでは。



温泉の事が知りたいなら、国内を週末フラフラと出歩くしかない気がします。本当の温泉を楽しもうとして、女性一人での利用が危険な場合の所もなくはないので、やはりバブルの遺産の様な「温泉ホテル」になるでしょう。

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