■南国後半でハレはアスが出て来る前から、ルーザー様の気配を感じていました。高松も同様でしょう。高松はパプワ島の大自然を見てルーザー様を思い出したのかもしれません。ハレは、多分キンちゃんを見ていたからだろうと思います。
キンちゃんにはマジックの様な「快活」さが余りありません。ムスッとしていて、一度に一つの事しか出来なそうな所は、ルーザー様そのものでしょう。ハレにルーザー様を思い出させたのは、恐らくキンちゃんの存在です。
■まだ、明治期の紀行文を読んでいます。当時なので徒歩、乗馬、水運、人力車、馬車、鉄道と、交通手段が豊富です。漱石の猫で車と言えば人力車なので、これらの紀行文の中の車も乗用車ではないでしょう。
当時からもう、東北本線も高崎線も信越線もありました。紀行文で那須高原が語られる時、東北本線の「道」を新しいと言っていました。恐らく徒歩での移動が中心だった以前の道と、違う道を東北本線は取ったのでしょう。
今は東北新幹線と東北本線(宇都宮線)で、微妙に「道」が異なります。路線図だけ見ても、東北本線が蛇行気味なのに、東北新幹線は定規で引いた様です。技術的進歩のせいでしょう。そう思うと、北陸新幹線の日本アルプスを避ける様な路線図は、山々の峻嶮さを想像せしめます。
■申込み遅れで今回スパークは参加できません。赤豚さんで早期満了と言う事態を想定してなかったので、次回から気をつけます。
次の新刊は受かれば冬コミです。それまで同人以外の事を何かしようとか、少し休もうとか考えますが、同人より心身を費やすものはそうないと思います。自分の通常見せない欲望や欲求、ユメの様なものを描き出すという恐ろしい行為ですが、代替できる行為が思いつきません。
ココロが破滅しない様に、ちょっと冬コミまでのスケジュールを練ろうと思います。
■矢沢あいのご近所物語を読んでました。レンタルで読んでいまして、空きが来ないまま何か月か経っていました。ちゃんと読むのはリアルタイム以来じゃないかと思います。以下、感想です。
■少女漫画のヒーローは大変だと思う。少年誌なら殴る蹴るで一種のコミュニケーションが成立してしまう所を、お嬢さん相手に喧嘩は出来ないし、「黙っていても分かってくれないとイヤ」みたいなテンションにも付き合う訳で。ツトムは夢や野望のない普通の男の子かもしれないけど、ちゃんとヒーローしているなあと思う。
■実果子が夢に燃えているのは、それが彼女のありのままの姿だからだと思う。親の離婚や、イジメもあったと思うけど、デザイナーという夢は彼女を強くした。
両親と幼馴染と、幸せに育ったツトムに夢がないのは当然かもしれない。足掻かなくても幸せがそこにあったのだから、実果子みたいにボロボロになっても幸せをつかむとかの馬力はツトムにはなかった。
■ガッツのある女の子は好きだけど、実果子もいずれオンナとして生きる時が来るだろうし、そのへんは夢や仕事より家族を取る日も来るのだろうと思う。夢や仕事と、家族(恋人)を秤にかけるなんて、実果子には速過ぎるし、夢と仕事、又は家族(恋人)なんていずれを選んでも女の子は不幸せだろうと思う。
■そういう戦うオンナの悩み、みたいなのを漫画にしたのがNANAではなかったかと思う。ハチは男受けのいい、あまり社会人には向いていないお嬢さんで、ナナは男勝りのシンガーだった。
ハチとナナは2人で1人みたいな面があるけど、ハチの幸せ(タクミとの結婚等)はナナの悲劇であるし、ナナの幸せ(シンガーとしての成功)は、ナナには直接影響しない。
これ難しいテーマだなと思いながらNANAは休載になったけど、多分完結しても皆悲しいままだったのではと思う。矢沢あいの作風は、天ないやご近所のような、明るくて前向きな女の子のラブコメというより、本来もっと悲劇に満ちた涙で読めない様な方だったと思う。
天ない、ご近所は読者のためを思って、明るい学園ラブコメで押し切ったのかなと思う。 |
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