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...... 2016年09月14日 の日記 ......
■ 千羽鶴(康成)   [ NO. 2016091401-1 ]

■スパークで新刊が出せなくて何が困るかと言うと、原稿という比較的客観的な形で妄想がまとめられず、内面に籠もる点です。ちょっとずつ妄想を、冬コミや春のプチのために発酵させるべき時期と呼べそうです。後電車乗って来ます。

冬コミは12月です。マジックの誕生月です。シンタローがいれば何もいらないマジックに、「祝う」事をためらうグンマ博士。躊躇しないで、寿司ケーキや飾り巻き寿司でも作ろうと励ますキンタロー博士。

キンちゃんに同意するも、キンちゃんにしてはベタで周到なアイデアなので、「誰」の受け売りなのか分かるグンマ。知らないふり。寿司パーティーするマジック一家と、診察の合間に、密かに練習していたキンちゃんの失敗作の寿司で腹を満たす高松博士。



■康成の千羽鶴と波千鳥を読みました。最初続いていると知らなくて、波千鳥から読もうとしたら話が分からず、千羽鶴まで後戻りしました。

思い出すのは南国&PAPUWAの、幾層にも重なった人間関係です。原作者がコタに飽きたのか、「コタは自力で闇から這い上がった」とも読めます。原作者が放置気味の子供世代キャラ、くり子ちゃんやウマ子嬢の様な女性達のお蔭で、かなり世界が救われています。



高松は脇役だから救われていると思います。とはいえ、一見笑顔が絶えないグンマの内面を考えると恐ろしくなります。キンちゃんは「頭はいいけど世間知らず」の一点で意図せず乗り切っている気がします。

多分、主人公のシンタローは「実はコタのことは自分も父もどうでもいい」と思う真実とか、「実の父子でなくて正直ラッキーだとさえ思う」乱れぶりとか悩みみたいなのがあるんじゃないかと思いますが、よく考えると、原作者はそれっぽい悲劇を提示しても、奥行きはあったりなかったりだなあとも。




以下は感想です

・波千鳥と言うタイトル、清らかなゆき子の描写(夫と肉体関係がない事にさえ疑問を抱かない?)を見るに、千羽鶴で滅茶苦茶だった多くの男女関係が、菊治とゆき子の結婚で理性的になったと思われる。

でもいまだにちか子が菊治宅に出入りし、ゆき子の描写が完璧過ぎる事から、やはり未完なんだろうと思う。康成がハッピーエンドを書くとは思えない。菊治の母、太田未亡人と菊治の周囲の女性は死ぬほど辛い情念に絡まれるのが常なら、新妻のゆき子も無事ではないと思う。

菊治は文子を追い、文子も菊治を欲しているから、この2人は茶碗の様にともに早晩砕けるだろう。まさか無垢なゆき子でも「初めての男である夫は、既婚未婚構わず多くの女性と既に関係していて、気分転換くらいの意味合いで自分と結婚したが、実は亡父の愛人の娘が最愛であり、やけぼっくいに火がついて心中した」となれば、傷つくでしょう。

康成は今度はゆき子の救済の物語を書かねばならず、気持ちよくゆき子が暮らしていても、彼女を癒すだろう別の男性は、ゆき子を通じ、彼女の前夫の異様さに恐れを抱くだろうと思う。話は終わらない。



・千羽鶴も波千鳥も、沢山の小鳥のイメージ。千羽鶴で菊治の父に関して、正妻・栗本ちか子・太田未亡人と数多の女性が現れるあたりを指しているのかなと思う。亡父の残したハーレムを、ほぼそのままというか、太田未亡人の娘まで巻き込んで継承する菊治がエロいというか無節操と言うか、康成以外が書いたら昇華出来るんだろうか。



・太田未亡人の自死は実に康成らしいと思う。谷崎は漱石の門に対し、「姦通を犯したくらいで、罪としてお米に子供が出来ないと言うのは行き過ぎ」とか言っていたけど、谷崎に言われたくないというか、太田未亡人の場合、菊治との関係自体が悲劇なのではなく、菊治が結婚するらしい事の方がショックだったんだろうと思う。

初々しい新妻を迎えるだろう菊治に、既に年老いた自分が女性として比較されるだろう想像に、未亡人は自死まで行ってしまったのではと思う。彼女の遺品として出てくる二流らしい焼き物も、一流の存在である「菊治の新妻」に「劣る」未亡人のイメージなのだろうと思う。

太田未亡人の娘文子は遺品の焼き物を割る事で、母の忌まわしい男性関係を叩き壊したのだとしても、結句、自身が粉々になった焼き物の様に、みじめな存在になったと言えそう。

長い手紙を菊治に送ったり、自分の居所をそれとなく匂わせたり、「もう会えない」と何度も念を押す文子は、明らかに母の二の舞だろうと思う。

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