madeingermany

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...... 2016年09月23日 の日記 ......
秋分の日


■ 佐為ロス   [ NO. 2016092301-1 ]

■高松は、グンマのママの死に立ち会った気がします。シンタローが言う「亡くなった母さん」とは、マジックの長男を生んだ女性、つまりグンマの生母にあたる女性なのかなと思います。

何故高松が、グンマのママの死を看取らねばならないのかと言うと。彼が医者だからという事もありますが、高松が彼女の持つだろう母親のカンみたいなので、嬰児すり替えがばれるのを恐れたからかなと思います。最後に言い残す事があるなら、自分の子供についてではと思われます。



きっかけはマジックから、女性の死によって一族の利権が脅かされないか、高松に監視を依頼したとかでしょうか。コタを生んだ事で彼女が亡くなったのなら、出産を依頼したマジックに責任が生じます。彼女の死因を判断するのは医者の仕事、つまり御用医師みたいな高松の出番に相成ります。

彼女は「息子(シンタローとコタ)をよろしく」と最期高松に言うかもしれません。雲の上の人のマジックに対し言える訳ないから、ガンマ団幹部の高松に言ったのだとしても、高松とすれば、グンマに血肉を与えた女性の言葉なら、違う意味に聞こえそうです。




■南国&PAPUWAは流石ギャグ漫画なだけあって、人の死が同じ原作者の作品に比べ、少ない気がします。特にアニメでは明らかな死の描写はなかったはずです。

パプワがじいちゃを懐かしむあたりも、あくまでパプワとじいちゃの日々を想像せしめる範囲のものだったと思います。セミのエンドウ君のような例を思うと。ギャグとシリアスの使い分けの出来る原作者だと、当時思っていました。

シンタローの多過ぎる他界シーンと、嬰児すり替えの納得のいかなさを思うと、多分原作者は余り気持ちを入れずに、ショートストーリーでサクッと描いた方が似合うのでしょう。

カミヨミも構成は悪くないと思いますが、感動の場面が主人公三人組?より、多くは菊理姫や他の女性キャラにある気がします。




■福山雅治の結婚を、ましゃロスと言い、「いなくなった悲しみ」を表現していましたが、自分はしばらく佐為ロスになりそうです。アニメのヒカ碁を一巻からのんびり見ていて随分になるのですが、いよいよ佐為の消失まで見進めてしまいました。

佐為の消失の前には、中学囲碁部編、院生編、プロ試験編と見せ場が多く、佐為がいなくなる事をつい忘れそうになります。

ずっと楽しく囲碁を皆で打っていればいいじゃないと思いますが、かなり序盤で、加賀が囲碁から将棋に転向していたり、ヒカルが囲碁部では収まりきれない打ち手である事を察した筒井さんがいます。



また佐為も、ヒカルが中学、棋院、碁会所等で打つ時はニコニコ見ていてくれても、プロとして強敵と打つようになると、嫉妬と別離の予感にさいなまれます。佐為は最強の打ち手達には気持ちの上で対等なので、自ずと自分で打ちたくなるのでしょう。

佐為の消失は悲しいですが、自分も、あれ以上嫉妬と悲しみに顔を曇らせる佐為を見ていられません。幸せにあの世に行ったとしても、平安時代の佐為の仲間と言うのも想像がつかず、虎次郎には虎次郎の家族や仲間がいたはずです。




佐為の佐為だけの世界は、まさしく碁盤の上にしかありません。ヒカルが碁盤の上に佐為がいる的な事を言ったのは、そのためでしょう。むしろ自分自身のために打てる和谷、伊角さんの方が幸運だったとも言えます。

そういやヒカ碁はヒカルの活動範囲が変わると、コロッと出て来なくなるキャラが多いです。和谷と越智は同期ですが、何故かプロ編に余り出てこないです。ヒカルってば、新初段シリーズの時の桑原のじいさんと緒方先生の賭けのあたりで、和谷達とも溝が出来ました。

ヒカルにとって碁をしている限り、別離と言うものがないのはアキラと佐為だけです。アキラは怒りっぽいしプライドが高く、オトモダチと言う感じはありませんが、佐為の「一緒にいる」感じが自分はも猛烈に好きです。近いうち、アニメなり漫画なりに再度触れ、もう一度佐為に会おうと思います。

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