madeingermany

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...... 2016年09月27日 の日記 ......
■ ベタベタ   [ NO. 2016092701-1 ]

■南国&PAPUWAで、グンマ程可能性を秘めたキャラは無かったと思います。可能性って語るのが難しいですが、例えば高松の「可能性」は有限だと思います。

高松の思考・活動の範囲はルーザー様の香り、残り香が感ぜられる所までです。科学や技能的な知識は無限に広がるかもしれませんが、高松は気持ちの上でルーザー様から離れる事を好みません。

同じ様に、シンタローはマジックの姿が見える所を好むだろうし、キンちゃんも亡父と高松の匂いのする・しないには敏感だろうと思います。それらの感情を愛情とも親愛とも呼んでいいと思いますが、実に有限の恐ろしさを感じもします。



グンマはそういう壁がないんだなと思いました。皆が思う「グンマ」像はあれど、グンマが誰かに媚びる必要はないし、気兼ねも他のキャラよりはないと思います。

グンマが「馬鹿息子」をやっているのは、既に父に「最愛の可愛い息子」「両目秘石眼の一族最強の息子」が歴然としてある反映だとするなら、実に惜しいと思います。




■中学生で初めて同人誌を読んだ時感動したのが、キャラ同士がものすごくベタベタしている点でした。スポーツアニメ、バトルアニメだと、キャラ同士の会話自体少なく、まして少年ものなら、拳で語り合う系の方が本誌では主流だったと思います。

ならば少女漫画雑誌はと言えば、高度な心理描写が大変多く、自分はいつの間にか読めなくなっていました。大人になったから読めなくなったのではなく、細やかな女性心理とかからっきし分からないのでしょう。成人してから余りに自分が「分からない」人間なのを悲観したくらいです。




少年漫画の二次創作だから、必ずしもベタベタしなければならないと言う決まりはないと思いますが、シリアス路線でもベタベタに至るまでのシリアスだったりして、少女漫画なのか少年漫画なのか、曖昧なものを好んで読んでいました。

それが悪い事だとは思いません。ですが過度なベタベタ、精神的な密着、膠着はキャラのためにも、読んでいる自分のためにもならないと、今になって少し思いました。遅すぎる思春期、反抗期が軟弱な自分にもあったのだろうと思います。

対等な友人関係、異性同士の関係が自分にはよく分からないのだと思います。友人と言っても、容姿や成績、人生他で引け目を感じる事が出てくる事もあるでしょうし、異性なんて、男性が意味もなく威張っているだけで辟易する時がなくありません。




要は自分は、周囲に対する引け目とコンプレックスと、異性に対しての清らかな羞恥心どころか、完全に思春期をこじらせただけなのだと痛感します。そうでなかったら、アホみたいに受験勉強に没頭しなかったと思います。

ベタベタはあかん、自立せなと偉そうな事を思いながら、実際私は、性別や引け目や差異も忘れて、ただベタベタしたいのでしょう。




ヒカ碁の佐為が好きなのですが、佐為は盤上の幽霊でして、性別も年齢も立場も忘れた様な存在です。彼にとって囲碁だけが意味のあるものだったのでしょう。

そんな佐為が虎次郎、ヒカルに対し「別れたくなかった」と思う場面が好きです。虎次郎もヒカルも、佐為に人生の大きな一部を捧げてくれました。佐為は「神の一手」の一点張りで彼等の献身を消化してしまいますが、ヒカルとの別れの予感は、佐為を囲碁以上の何かに導いたのではと思います。

佐為が行洋をネット上で負かしてから、妙に気が晴れないのは、碁としては充実していても、行洋と「佐為」が触れ合った訳ではない徒労感もあったのではと思います。

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