madeingermany

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...... 2016年09月29日 の日記 ......
■ 佐為はトトロ   [ NO. 2016092901-1 ]

■キンちゃんが、心の中で高松をお母さん的ポジションに置いても一緒に居続けられるのは、キャラクター的にキンちゃんの方がパワーバランスで上だからだろうと思います。権力者。

一見強気で威張りん坊の高松が、実は(立場的にキンちゃんより)非力で、守ってやらねばならない男なのだと知った時、キンちゃんは大人になったのかもしれません。(高松は、今までは科学者としてマジックの援助が受けられたけど、今の総帥はシンタローだから同じ規模の援助は望めない)



■親しい師匠や先生、もしくは「親」との付き合い方を、佐為とヒカルを見ていて考えていました。ヒカルは佐為を親しく思っていても、ヒカルの成長は結果的に佐為を追い出した事になります。また、プロ棋士になったヒカルは、いずれ本当に佐為を必要としなくなったでしょう。

虎次郎は最初は佐為の可愛い弟子だったと思いますが、最期の彼の言葉のすまなかった、は佐為を愛したが故の言葉、佐為のいくべきだろう浄土に、現世で一緒に碁を打ち過ぎて、彼を行かせてあげられなかった悔恨の言葉だった様に思います。

佐為は虎次郎の言葉を、死別する事への悲しみの言葉だと受け止めていますが、賢くて優しかったと言う虎次郎は、もっと佐為の事を考えていたと思います。大好きな人が死んでも浄土に行けず、穢土でさまよっているなんていいのもではありません。



■アニメのヒカ碁を見ていて。佐為はアキラに取りついていたら、多分毎日喧嘩して、一緒にいる事も出来なかったのではないかと思いました。アキラは追求しないと気が済まない方だろうし、佐為はアキラが小さくとも、本気になってしまうでしょう。

佐為って誰と打つといいのか、見ていて考えてしまいます。囲碁は2人で打つものだと桑原先生が言っていて、アキラとヒカル、外にも大勢の若い棋士が先生の念頭にあったと思います。トップ棋士である行洋も、トップであるしがらみや権威を捨てて、世界中の碁打ちと打つ気の様です。

ゴージャスの読み切りの様に、佐為は子供が遊ぶように、碁に夢中だったのかもしれません。当人が成人していても、厳しい大人同士の政治の世界で碁を打つのは、きっと佐為には無理だったのでしょう。でも佐為は高貴な人と碁を打つのが好きだから、あるとすれば実家や、市井に帰って碁を打つのも想像出来ない選択肢だったのでしょう。

ヒカルは高貴でも強い碁打ちでもなかったですが、摩訶不思議な存在の佐為を当初以外は拒む事はありませんでした。天才の佐為じゃない、この自分が打ちたいと思う事はあっても、ヒカルは佐為を連れ歩く事自体には抵抗が無かった様です。




■アニメのヒカ碁を見ています。原作は何回か読んでいて、アニメもリアルタイムで最後まで見たと思います。オープニング、エンディングがかっこよくて、終盤になっても出て来てくれる加賀や筒井さんが好きです。囲碁部のあの頃が懐かしいです。

伊角さんや和谷を見ていて、みんなには佐為がいないのだなと思いました。親身な師匠や先生がいる人、アキラみたいに家族が棋士という場合はあっても、佐為みたいな囲碁まっしぐらの幽霊が取りついて、日夜一緒というのはヒカルだけでした。

ヒカルが佐為を失って当初は見ている方もオロオロし、ロス、喪失感、瀬戸内海まで探しに行きたくなりますが、落ち着いて周囲を見れば、皆佐為なしで打っています。和谷は一見周囲の強い棋士に影響されていそうですが、意外と流されていないのが不思議です。

今まで筒井さん達学校の友達はヒカルが強くなれば、見守るだけになっていましたが、流石プロ編になるとヒカルの周囲の人達が固定するので安心します。和谷が佐為ロス中のヒカルに怒ってくれて安心しました。

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