 ■志賀の和解を読みました。暗夜行路よりずっと短く、一時間くらいで読みました。志賀直哉の生涯の概要等頭に詰め込んだ後の事で、群馬の赤城山で氏が過ごしたのを知ったのも最近です。
和解って父と子の相克について、多くは語られませんでした。題材として志賀の学生時代のあれこれ、若気の至りの諸々、結婚問題等、不仲になるきっかけは多かったろうと思いますが、裁判ものではないので、ゆっくりと心情や情景が書き連ねられます。
漱石の小説なら。「友人の妻に手を出して帝大を放校になったから同時に勘当された」「政治的な見合いを蹴ってまで、友人の妻に手を出したから勘当された」「高齢になってから出来た子供なので里子に出された」「親に借りた金を返さず、無駄使いばかりしているから父に縁を切られかけている」等、様に金と性的関係で要約されるが如く、克明です。
志賀はお坊ちゃまなんだなあと、思いました。和解の良さや、志賀の凄みはこんな感想でまとめてはならないと思いますが、貧乏人は金欠と孤独の怖さが想像出来るから、親と喧嘩自体出来なかったりします。
■いよいよ10月になるので原稿を始めようと思います。小説の方は書き溜めたのがあるので、思いついたネタがあれば書き足そうと思っています。前のものと被らない様にしたいですが、こればかりは書き終えてみないと、妄想に何らかの進展があったのかどうか分かりません。
原稿を描いて一番いいなと思うのは、体内で燃えていた妄想が形を持つ事だろうと思います。いくら自分の妄想でも、体内で燃やし続ければ自分が焦げて息が出来なくなります。顔から火が出る様な妄想でも、意外と形にすれば「こういうものだったのか」と自分でも分かるんじゃなかろうかと思います。
■佐為を探しに広島、都内の秀作の墓まで放浪したヒカルは、次第にクリアして、碁打ちの暮らしに戻っています。佐為も消え、ヒカルがもしプロになっていなかったら、あのまま碁を辞めるのもありだったのかもしれません。
出番はありませんが、ヒカルの父は「どうせ飽きる」くらいの感じで息子の囲碁ライフを見ていたのだろうと思います。ヒカルの母は母親としてヒカルを案じていますが、やはり息子は母の言葉にそんなに耳を貸すはずありません。
プロ試験合格、佐為ロス克服、そして北斗杯編に物語は続きます。新キャラの社が好きです。社のお父さんは、息子が碁打ちになるのをよく思わず、せめて高校は出る様にと社と約束してあるようです。
社は納得いかない様ですが、お父さんの言うとおりだなと思います。息子の将来を思えば大学まで出したい所でしょうが、高校までは出ろと言うお父さんは相当譲歩したのではと思います。関西棋院は社を買っていても、碁自体が斜陽なら、息子がどう頑張ろうとどうにもなりません。
関西棋院を信用しない訳でなくとも、芸能人みたいに人気や事務所の意向みたいなもので、人生を滅茶苦茶にされる未来を感じるより、息子には堅実に生きて欲しいと思うでしょう。
そういう心配、佐為にはひっくり返っても出来ないのです。盤上では最強の佐為でも、佐為本人が世間知らず過ぎでしょう。佐為は可愛くて好きですが、ヒカルの学力がもうどこの高校入試も通らないだろうくらい落ちているとなると、ちょっと佐為はまずかったと思います。
碁さえ出来ればいいのが碁打ちかもしれませんが、政治での敗北や、人間同士のゴタゴタで入水にまで至ったのが佐為です。流石幽霊、生前と思考が変わりません。佐為は男の子を碁打ちにする事は出来ても、ヒカルはうっかりしたら中学卒業も危うかったのではと思います。
虎次郎は賢く優しい人だったそうだから、佐為がなんで入水してしまったのか分かったろうと思います。碁打ちのプライド、挫折だとも言えそうですが、要は佐為が要領悪の無垢すぎる男だったからだと思います。虎次郎は佐為が十分打てるように、常に対戦相手を探さねばならないし、政治的に潰される様な事もあってはなりません。
幽霊の面倒を見ていた虎次郎。優しかった彼は佐為を成仏させるところまでが、出会った自分の役目だと思ったでしょう。秀策として碁を打つ佐為は余りに現世が楽しかったのか、さらに100年以上穢土に残ってしまいました。まさしく、すまないと虎次郎は言わざるを得ないでしょう。 |
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