■三連休内、原稿をするのは土曜のみで、後は電車を乗りに行って来ます。スパークは申込みに間に合いませんでした。
乗るのは大糸線です。鉄道駅に置いてあるパンフレットでよく見かける路線です。路線が長野側、新潟側と経営者が違うせいか、JR東エリアだと長野方面しか広告しなかったりします。いわゆる安曇野方面の、豊かな自然と文化を楽しむ感じの広告が多いです。
大糸線は本数が実に少ないので、沿線を観光するならマイカーかレンタカーになりそうです。鉄道は好きですが、都会の電車でない限り、下車後の観光と移動は計画性が求められます。鉄道を楽しむ目的でないのなら、高速バスや、観光バスでツアー旅行の方が効率的かもしれません。
■冬が来るので、タイヤを買い換えるつもりです。安い買い物ではなく、安値をあたっても数万円します。維持費、手間など考えると、マイカーを捨ててタクシー生活を選ぶ人もあるようですが、通勤に不可欠なので自分は無理です。
田舎暮らしが推奨されて久しいですが、電車もバスも一時間に一本あればいいという現実と、厳しい冬期、積雪、永年積み上げられた人間模様等に、都会の人は耐えられるのでしょうか。
何故県外の人に群馬県が何であるのか伝わりにくいかと言えば、群馬は常に目が東京、新潟、長野方面へ向いていて、県内同士の団結が左程進んでいないからかなと思います。前橋市と高崎市の張り合いぶりは明治からですし、山岳部に行けば行くほど、地形的に隣町へ行く事さえ困難を感じます。
数多の山や谷の間に住んで、県内の更に小さな市町村が各個独立して生存している、それが群馬かなと思います。いつまでもそれじゃ駄目だと言われそうですが、山や谷を越えるのは実際大変です。
■国木田独歩と言うと、今はなき武蔵野の光景を描写しているイメージしかなく、外には図書館でたまたま読んだ、竹の木戸くらしか覚えていませんでした。家で取っている朝刊で、牛肉と馬鈴薯の紹介があったので数年ぶりに独歩の本を借りました。
牛肉と馬鈴薯の方は、俗人の愚痴大会の様な感じで面白く読みました。外の短編も順番に読んでいますが、劇中での自死率が異様に高い様に感じます。一作二作はあり得ても、延々と、しかもだらしのない配偶者に悩まされ続け、苦しんだ挙句に子供を連れて井戸に飛び込む夫人とか、創作とは言え、書いた意味を作者に問いたくなります。当時の読者が読みたがったのでしょうか。
同時に、有島の或る女を思い出しました。ヒロインは毒婦として書かれますが、全体にして女性に非がある様にしたいのかもしれません。モデルにされた女性はいい迷惑でしたろう。独歩の方は創作とは言え、死んでいく女性達に憐みや、苦しませた後悔は示されません。
もうそういうものだと思って読んでいます。漱石の場合、鏡子さんの性格が揺らがないのでそこまで不安になることは無いし、谷崎も、付き合った女性や女性の親族に気骨があった様に思えます。
創作物と作家をごっちゃにするのはいけませんが。まるで荷風の書いた日記の中の諸般の犯罪が、現代日本でも起きる昨今、戦前の日文の世界も、現在の普通の世界もいい意味でなく大差ないと思いました。 |
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