madeingermany

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...... 2016年10月12日 の日記 ......
■ 日文   [ NO. 2016101201-1 ]

■宮脇氏が、鉄道好きでないなら乗るべきではない(※完乗に約7時間かかるため)と言っていた記憶のある、飯田線について考えていました。

特急がないわけでないらしいし、沿線の温泉で一泊すれば左程抵抗なく乗れる路線なのではないかと思いました。氏は鉄道好きでないならと言いましたが、本来旅客業である鉄道であるし、沿線にお住いの人だっているはずと思いました。

飯田線は駅周辺に住宅がほとんどない場所もあり、豊橋から長野方面なら、多分中央本線まで移動して、特急しなのに乗った方が多分便利です。しなのなら本数も多く、乗りやすい特急だろうと思います。

何のための飯田線かと思いきや、あの東海道新幹線が稼いだ分で補われつつの経営と聞けば、その重要性は疑いありません。




■デスノートを読んでいます。セリフ一個、ページ一項でもうっかり読み飛ばすと混乱が生じる情報量なので、時々セリフを数回読み返さないと、話の展開についていけません。

Lがレムによって殺された時の、二次界隈の悲鳴が耳に残っています。リアルタイムで楽しむ方には、どんなにか辛かったろうと思います。Lの死は、月とレムの心理戦の結果であると分かっていても、もう少しLの活躍が見たかったと思わせます。



つくづく、奇跡を起こさせない漫画だったのだなと思いました。積み重ねられる情報戦、心理戦が、誰かの祈りや願望だけで突破されては、積み重ねの面白さが減ってしまうでしょう。ヒロインのはずのミサも、時に冷徹な心理劇を披露するものだから、松田に癒されます。

読んでいて有難いのは、月に共感しなくても十分面白く読める所です。月の理想とする世界は余りに遠大ですが、例えば月が自然死した場合、または「飽きた」場合の対応策がありません。Lにも理想がありますが、Lの方は自分の理想を後継者育成という形でシステム化するのを試みた様です。




■日文は一般教養の授業でも取らなかったので、詳しくありません。世界の文学だと、

・神話、伝説等
・史書
・説話集、詩、文学と言うより歌って語る感じ
・ルネッサンス到来、デカメロンとか伊、仏が元気
・日本でも近松等、公的な視点から離れた「作品」が多数出現、庶民文化の開花

・産業革命等以降の、社会変化を受けて文学の大衆化、フランスで自然主義文学が始まる
・独、米等遅れ気味だった地域でも、作家が活躍し出す
・日本でも文語体から口語体の作品が増える
・和歌や俳句以外の文学表現が増える 

と言う流れなのかなと思います。日本も和歌や俳句がニューリアルされ、正岡子規等の活躍で随分文学が変わったのかなと思います。文学と言う視点自体、黎明だったでしょう。




所で自然主義と言うと、露骨やさ余り知りたくない他人のプライバシーを暴露して楽しむ様な居心地の悪さを感じますが。

元来の自然主義と言うと、相当科学的な面があったと思います。社会科学の始まりと言うか、産業革命以来の科学技術の発達が人間の暮らしを変え、そして人間を新しい目で把握しようと試みたのが、ゾラ達だったのだろうと思います。

ナナや居酒屋が上品な小説だとは思いませんが、少なくとも、あの荷風が入れ込んだなら、何かしらの思想的、科学的なものが含まれていると思います。荷風が官能的、露悪的なものを書こうとすればどこまでも書けたと思いますが、彼の場合、その先にある何かを見ていた気がします。



日本の自然主義は、いつの間にか私小説というジャンルに変化したそうです。今の文学界の隆盛は私小説らしいです。谷崎も漱石も私小説と呼ばれるものを書いていますし、谷崎の恐ろしい程モデルに入れ込んだ作品の数々なら読んできました。

でも谷崎や漱石を自然主義であると呼ぶのはためらわれます。内緒話、符丁的な会話の持つ不愉快さがないからでしょう。文学を志す者、また文学を愛する者への、選民主義的なムードが彼等には薄いのだと思います。

藤村の春への違和感は、家族にも友人にも恵まれた青年達が、あたかも殉教者を真似たかのような高いプライド、謎の使命感を持って嘆息しているからです。もう科学でもなんでもないのかもしれません。

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