■少し前の朝日新聞で、デビット・ボウイの特集がありました。以下は心の整理のために書きます。
すごいなあと思うのは。デビット・ボウイがモデルらしいキャラが南国の主役なのではなく。デビット・ボウイがモデルらしいキャラの熱愛するキャラが、南国の実質的主役であり、原作者が自己投影したキャラである事でしょうか。シンちゃん=デビット・ボウイ似のキャラの愛する人=原作者となるのでしょうか。
・漱石は英国に留学した際、鬱っぽかったらしいが、こんな美形ばかり英国にいるなら、さぞ居にくかったろうと思う。
・マジックのモデルであるなら、マジックから派生していったキャラであるサビ、ハレ、ルーザー様他青の一族のイメージの源流はここにあるのかもしれない。
・高松は彼等の周囲に居にくかったろうなと思う。優秀なベビーシッター、家庭教師としてグンマの側にいたとしても、誰がどう見てもグンマと高松に血縁関係があると思う人はいないと思う。金髪碧眼・雪花石膏の肌のグンマと、どう見ても黄色人種の高松では。
・高松はルーザー様を好きになった後、死に物狂いでコンプレックスを埋めようとしたかもしれない。でも埋まるものではないし、一族にとって使い勝手のいい団員になっただけだと思う。高松に鏡子さんはいないし、異国で「お前が懐かしい」と言える相手が高松にいたんだろうか。
・高松の苦悶を余所に、ルーザー様はルーザー様で自分が抱いた高松への気持ちを確認していそう(ルザ高)。紆余曲折どころか、高松の失意の出奔騒動、ルーザー様の「息子をもうける」発言等の嵐の後、キンちゃんが生まれるのだろうと思う。
■藤村の春に長々文句を言った事を反省します。一人の人間の長いモラトリアムに腹が立つという事は、自分も同じような、他人に迷惑をかけまくるモラトリアムを送っていた、もしくは今も半ばモラトリアムであるという証明に他なりません。
妻子がいて、なおかつ「今、自分が不満足な状態なのは祖父母や父のせい、君はこんな俺と一緒に死んでくれるか」(概略)と言っていた青木はよく分かりません。岸本の恋や就活が上手く行かず、岸本の堂々としたモラトリアムを支えていた家庭が崩壊した辺りは、小説的だと思いますが、青木だけは分かりません。
自分自身に満足がいかないのを、上の世代のせいにするうちは、多分救われないだろうと思います。下の世代にも優しくなかった青木が救われる方法を、自分は思いつきません。
自分と上の世代と言うと。
・親、祖父母と言えども他人である ・若い頃、自分の思う様な人生が送れないのは当たり前。何故なら権力も財力もいまだなく、無力だから
・親、祖父母とは上の世代であると言うだけで、一つの脅威である。カネの出し入れも、自分の住む所も、話す言語も大体始めは自分で決められない。
・青木に色々厳しかった上の世代の人達は、青木の為を思っての厳しさだったかもしれないし、青木が男の子である以上、つまらない事をしていないで、家を助ける様にならないとまずいから、青木に厳しかったのかもしれない。
・なんで青木が早々に結婚、熱い文学熱、母親への反抗等を続けたのかと言うと、一言で言えば反抗期であり、彼の自我に関わる事だったからだと思う。付き合わされる妻子が可哀想だし、青木の真意は反抗されている母にも不鮮明だろう。
・が、親も子も結局他人だから、青木の真意、本当の願いは叶うにせよ破れるにせよ、青木の一身上の事になる。もし青木が母親の家に住み、相応の振る舞いをしていても、青木は悲しまなくていいと思う。
自分の夢とか希望とかと、自分の心身は別物だと思う。青木は文学をしたかったのなら働きながらでもすればいいし、文学と心中する必要はない。青木は自分の反抗期のために、自分の文筆活動及び無茶な結婚を強行したと思うけど、大人気ないのではと思う。
青木は三国志が好きだったらしいが、曹操や孔明の時代ではあるまいしに、日本の普通の家に生まれた青木は、普通の暮らしをするしかない。祖父母や母を憎むのは結構だが、世の中、いつかどうかしてやりたいくらい憎い相手と、四六時中一緒に居ざるを得ない人は数多いと思う。 |
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