■キンちゃんは高松に、「どうせ俺は父さんの代わりなんだ」と、怒ったりすねたりするのかなと思いました。
高松とすると否定する以外ないですが、自分を全面的に求めてくれるキンちゃんと、所詮ルーザー様とは上司と部下で、ルーザー様は兄弟のために死を選んだのだと言う事実から言えば、思い入れの量も質も、キンちゃんに采配が上がると言えなくはないでしょう。
ルーザー様への忠誠心や慕う気持ちと、キンちゃんを可愛いと思う高松の心は大差ないと思いますし、24年間寂しかった高松の事を思えば、「俺は代わりだ」とキンちゃんが怒るのは無理ないと思います。
でもどちらのために、高松がより頑張れるのかと言えば、残念ながらルーザー様ではない様な気がします。ルーザー様は高松が仕事等を頑張っても、「これで兄さんが喜ぶ」とか口に出すと思います。高松はすねるでしょう。
高松はキンちゃんに対しては、彼が健やかで皆と仲良くしていられれば、それだけで充実感を得るだろうと思います。「一体感」でいえば、ルザ高よりキン高の方が強そうです。
■タイトルだけで手に取った、秋津温泉を読み終えたので図書館に返して来ました。孤独な男が温泉場で女性達に癒される話と言うと、康成っぽいなと思いました。
漱石の草枕、明暗も主な舞台は温泉です。草枕はファンタジー的な部分が多いですが、明暗は津田が病気であるという事実、手術後の湯治という具体的な流れがあります。
具体的な流れといっても。既婚女性に、「どうして貴女は僕と結婚してくれなかったんですか」と問い詰めに行くのだから、問い詰める男と、けしかける吉川夫人が興奮しているだけで、清子には大迷惑でしょう。
秋津温泉。冒頭の、寡婦の伯母と男子学生の湯治の場面は、あれ以上書きこんではならない所まで書いてあるなあと思いました。結局男が何故温泉に行くかと言えば、別に温泉や景色のためじゃないとなれば、もう読まなくてもいいんじゃないかとすら思います。
先日から書いていますが。今時の温泉客である高齢者、普通のカップル、単身女性、ファミリー等と言うのは、過去温泉場を賑わした男達の代替に他なりません。ただ飯を食い、湯に入り、帰っていくだけのお客を旅館やホテルは喜ばないでしょう。
小説の秋津温泉は、ひ弱だった男子学生が結婚や戦争を越え、再びだらなしない男として、若女将を求めに行く話です。美しい若女将も男を気に入っているのでいいんですが、「山奥の寂しい温泉場に、自分を異性として恋しく待っている若女将がいる」とは、実にファンタジー、絵空事だなと思いました。
365日絶対にあり得ない事を、あたかも自分の身の上に起きた事の様に楽しむのが小説ですが。仕事も妻子も無視して、享楽と癒しのために温泉に来る男達は兎も角。温泉場にくくりつけられた様な駒子、秋津温泉の高子、また康成の短編に出てくるような女性達の苦労は、最早小説にはならないと思います。 |
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