■余り小説を読む前に、あれこれ調べない方がいいのかなと思いながら。徳富蘆花の不如帰について検索しました。まだ全部読んでいませんが、病身の若い女性が愛する夫と、冷酷な姑や継母のために引き裂かれ、という話らしいです。
この部分だけ聞いても、いくら創作といえどもモデルになったお姑さんや義理のお義母さんは、何か言いたくなるでしょう。志賀や谷崎くらい自分の事ばかり書いているならまだしも、特定の女性にいらない迷惑がかかる作品が、当時は多かったのでしょうか。
■ルーザー様はキンちゃんに、自分を殺す様に言いますが。恐らくキンちゃんがこの世に出てくる事が決定になったあたりから。つまり高松が19歳くらいの時から、その思いは芽生えていたのだろうと思います。高松にそんな事察された日には、あらゆる手段で止めに入られそうです。
父の仕事のため、兄の覇道のため、弟達を守るために、ほとんど悪鬼だったルーザー様にしては、意外な方向転換です。ジャンを殺した事も、今までのルーザー様の価値観なら一向に悔いなくていい事です。
ジャンの死にショックを受けて傷つくサビや、動揺する自分にマジックが無関心なのも、ルーザー様には痛かったのでしょう。つまりルーザー様の過去の自死は、広い人道的な思い故ではなく、全く個人的な感情からという事になります。
サビやジャン、マジックへ悔いる気持ちなら、ルーザー様は過去の自分の死であがなったと考えていいと思います。一つの罪に一つの罰、という法曹のルールをルーザー様が知らないはずないでしょう。
ジャンだのサビだのの回顧と、現在生きているキンちゃんは無関係です。関係があるとすれば、「息子には悪鬼の如く生きた自分の轍を踏まないでほしい」というルーザー様の思いであって。
先に高松を大怪我させる事で、高松を一連のつぐないの鎖から外し、ママを殺されかけて怒ったキンちゃんに自分を殺させる事で、連鎖を断ち切ろうとしたと考えられます。それだけルーザー様はキンちゃん(と高松)を自分に近いものとして感じていたのかなと思っています。
■今日も仕事でした。有難い事です。
所で高校時代、父から理系に行く様に死ぬほどドヤされていましたが、行きませんでした。行かないと言うより、中学生の理科や数学なら兎も角、高校レベルの理系に全く自分はついていけませんでした。
国語と英語と世界史の成績だけで、今後の人生の吉凶を占わねばならなかった頃、父の言葉は邪魔なだけでしたが、今になってもやはり父の言葉を無視してよかったと思っています。
自分がいかに父の言葉を無視しようとも、父は「お前の今の幸せは全て俺の賜物」という姿勢を崩さないでしょう。その言葉ごと、無視して構わないと思います。
理系文系と言うと余りにざっくりした区分で申し訳ありせんが、理系のリアルな世界に自分はついていけません。好きなはずの鉄道であっても、求められるのは理系の力でしょう。まして、好き好き言っていても鉄道事故や、乗客の要望に応える力は自分にはないと思います。
17歳くらいにして自分に見切りをつけた事は、やはりその後撤回されないものだなと思いました。三連休の時に乗った大糸線、平岩のあたりの大事故を調べた後になると、余計にそう思います。
鉄が好きとか呑気で無責任な事を言っていても、路線を維持してきた大勢の人達の力を思えば、自分はただの利用者に過ぎないのだと思わざるを得ません。 |
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