■蘆花の不如帰を上中編まで読みました。下は、肺結核が進行していくヒロインの話なのかなと思います。上に幸せそうな若夫婦の絵柄がありましたが、もうそこには戻らないのでしょうか。場所、群馬だったのに。
明治の作品のせいか、「家」への意識がとても強いです。ところがどっこい、平成28年、明治で言えば149年の今でも「家」意識は横行しています。何かと言えば、普通の家でも後継ぎを欲しがり、女性は実家より婚家に尽くす様期待されます。
今、不如帰を読む人はあまり多くないかもしれませんが。不如帰に出てくるような人や場面は、現在でも実に多いと思います。
■咳が止まらないので、医院に行って来ました。あれこれ気になる事を聞いてもらったら、結構な量の薬が出ました。いっそ少々の症状で薬を飲むくらいなら、我慢しようかと思いましたが薬剤師さん曰く、飲んで楽になった方がいいのだとか。
■群馬県民の日が終わると、急に冬らしくなります。紅葉を見にピクニック、という感じの観光案内は多数ありますが、紅葉が綺麗な場所は大体標高が高いので、相当寒いです。
以下は雑感です。
・南国でコタは、父を殺したいくらい憎んでいた。子供だから語彙が少なくて、殺すだの死ねだの簡単に言ってしまうのもあると思うが、それらがコタの周りで普通に飛び交っていた言葉である事を忘れてはならない。コタは、父が「始末しろ」と言ったのを、何度かは聞いた事があると思う。
死、殺人という事が、マジックの側では一つのツールになっていた。シンタローの誕生日を遊園地で祝いながら、同時に某国の反乱を鎮圧しに行く様な男なので、マジックの中では死、殺人について自分なりの線引きがあると思うが、コタには思慮の外である。
シンタローも、「親父は何をしているか分かったものではない」と思うだろうけど、「何をしている」という大体ろくでもない方の行為がシンタローに向くことは無い。シンタローはいつだって安全である。コタは、「何をしている」の恐ろしい面の方を常に浴びていた。幽閉がそれ。
シンタローに、コタの味わった恐怖や怒り、憎しみは分からないと思う。分かるはずないし、何を考えているか分からないコタより、シンタローは愛するマジックに共感を覚えている。
その辺の話もいつか本編で読めたらと思ったけど、もうない。何故って、コタのマジックへの「殺意」は、「コタが悪い子だから」という一点で片づけられている。憎いから殺したい、そんな単純明快な心の動きすら、コタには許されていないのだと思った。
アラシヤマやトットリの様な、職業的殺人をコタが学ぶ事はなかった。コタが幽閉から解放され、目覚め、物ごころついた時、「暗殺が仕事」というのが横行していたら困るからの新生ガンマ団だと思うが、結句、コタの「殺意」が考察される機会を奪ったのだと思う。
憎いから殺すというと、チャン5のジャンと高松みたいだと思う。ジャンは根性の悪い高松にしつこく邪魔をされたと思っていると思うけど、高松こそ大切な恋人と、その人の子供と幸せに過ごすはずの未来を奪った怒りと憎しみがジャンに対して永劫にある。
ジャンに高松の、ルーザー様を奪われた悲しみと怒りは理解出来ない。ジャンに赤の秘石の番人である使命があったとか、サビへの恋に苦しんでいたとか、そんなジャンの背景も、高松は思いやらないと思う。思いやる事は可能だけど、どうせジャンは(無意識に)高松を踏みにじっていくから。
歩くデスノートみたいなマジックと、コタは付き合えないと思う。マジックの息子に生まれたのが運の尽きと思い、そんな父を愛してやまない兄とやっていくしかないのだと思う。
高松やキンちゃんの抱えていた、相手を自分の手で殺したいくらいの憎しみとの付き合い方を、コタは学ぶ事があればいいと思う。憎しみとの付き合い方は一個だと思う。その憎しみにも、憎い相手にも、自分の今の幸福を左右されない様つとめる事だけだと思う。コタは折角パプワという無二の友達が出来たのだから、大事にして欲しい。 |
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