 ■大菩薩峠を読んでいます。昔はテレビやグラビア雑誌がなかったから、昔の人は読書中、想像力をフル回転させていたろうと思います。源氏があんなに短い文章で平気な理由は、「当時の人には書いていない事が想像出来たから」だそうです。
大菩薩峠を読むのも、想像力の勝負かもしれません。小説に勝負を挑む気になったには久しぶりです。そもそも今の山梨にはJR中央本線が走っています。南には東海道新幹線もありますし、「峠」という場所をイメージする事すら実はかなり困難です。有名な峠には大体トンネルがあり、電車内で「峠」を意識する事はほぼ不可能です。
■10年くらい前。やはり冬コミの原稿をしていて、当時は羽や翼を多く描いていました。原稿に隙間があれば描いていた気がします。楽しかったですが、その後10年間、余り羽や翼を描いていません。
特に羽や翼が出てくる版権を二次創作してこなかったせいかなと思いますが、代わりに原稿を花で一杯にしていました。星矢は聖衣だけだと無機質に思えて、じゃんじゃん花を描きました。
カーネーション、ヒマワリ、ユリ、バラ、アカンサス、スズラン、等描きまくった気がします。CCさくらを目指していたのかもしれません。パプワでは余り花は描いていない気がします。高松やキンちゃんに花を背負わしたことは、あっても数度かなと思います。
今回原稿にグンマを描く事があり、側にハイビスカスとツツジを描きました。別のコマです。ハイビスカスのイメージは南国、ツツジのイメージはまんま群馬です。県花。
ハイビスカスの花言葉は新しい恋、ツツジは慎みだそうです。南国グンマのお嬢様然とした姿は、ツツジの様なのかもしれません。そんなイメージを自他に植え付けたどっかの趣味が園芸の人は置き去りにして、グンマには新しい恋をして欲しいです。
■冬コミ新刊の原稿本文を描き終えました。後はノンブルを決めて、小説等の誤字脱字を確認して、表紙を描くだけです。余力があれば、ルザ高の短いのを追加したいです。
ルザ高って最後が死別である事が確定なので、ルーザー様が亡くなるなんて誰も考えなかった頃を舞台にするか、パラレルでルーザー博士とキンちゃん育児中の高松になります。
ルーザー様の死亡がガンマ団の中で確定された時、「この子は一人だ」と黒髪で生まれたキンちゃんを見て高松は思ったのだろうなと思います。
ルーザー様とすれば、マジックもハレもサビもいるのだから、自分が死んでもキンちゃんが孤独に陥ったり、ぐれたりもすまいと、かなり安直と言うか、戦士そのものの考えだったと思いますが、高松にそう思えと言うのは無理です。
結果、嬰児交換という嘘みたいな顛末なのでしょう。すり替えたなら、その場から消えるのがセオリーの様な気がしますがそれも出来ない高松の弱さ、女らしさが好きです。
南国を読むと、シンタローは常に高松を嫌な目でみています。高松が好かれたり、愛される事をしているかというとそうでないですが。高松の南国におけるシンタローへの愛と言うのは複雑で、注がれても気分はよくなかったと思います。
博士の異常な愛情が、「変態」「マッドサイエンティスト」の一言で解釈されていたのは、ひとえに高松の「努力」だったろうと思います。シンタロー=キンタローである事を、高松は知っているのですから。彼に飛びつきたいくらいの可愛さがあったかもしれません。 |
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