■キンちゃんに何が好きと聞いたら、温泉と答えそうです。研究と言おうとして温泉、慌てて、ガンマ団では総帥父子が大の日本趣味で、団員も総帥一族もジャポニズムに染まる事が、全員の義務みたいなものだというかもしれません。
キンちゃんに温浴の楽しさを教えたのは、高松だろうと勝手に思っています。産湯として。キンちゃんが信頼故に第一次反抗期を迎えた時、高松はどんなにか喜んだろうと思います。
■高松を捨てるグンマの話を模索して、数年になります。あの高松とは「距離を置く」事自体、恐らく不可能に近いでしょう。
高松本人が相手の人格を認め、お互いを尊重し合い、オマケに高松に「今ちょっと自分の時間を大事にしたいだけだから、別に絶交とか考えてないよ」とまで伝えないとならず。でも、そこまで御丁重な事をグンマはしなくていいと思います。
ここで一つ疑問がわきます。グンマと言えば「高松がいないと何もできないお坊ちゃん」とまで言って過言でないキャラですが、パプワ島への来訪初回は単身でした。南国でパプワ島に高松が来たのは、グンマがシンタローとパプワに敗北し、グンマに助っ人を頼まれたからに他なりません。
高松もグンマも、そこまでベタベタしていないのです。お互い(プライドの高い)科学者であるのだから、本来慣れ合う事自体難しいキャラ同士と言えます。グンマが高松を頼らない限り、基本的に高松に出番は回って来ません。
■身内の事を書くというと、さくらももこのもものかんづめを思い出します。自分がまること同じくらいの年齢だった頃の発刊だったと思いますが、周囲でも大ヒットでした。
肩の凝らない爆笑エッセイだと思いますが、お祖父さんの亡くなった前後の話は、どういうノリで書いたのか聞きたくなります。
ひどい祖父だった、自分や姉の入浴を覗き、ぼけたふりをしてご飯の時にわがままを言ったとか、マイナスな話が続いたかと思います。だから作者は、滑稽な顔と仕草で亡くなり、棺桶に入った祖父をゲラゲラと笑っていました。
普通に刊行、ヒットした本なので編集がOKしたんだと思いますが。昔のコントではないのだから、人の死に対して一般的な態度ではなかったでしょう。作者はその辺の指摘に対し、「だって本当にひどい人だったから」と答えたとか。
「ひどい人だから」という理由で、反撃できない所で、滅茶苦茶に言われるなら、うっかり死にも出来ません。というか、どんな身内への文句だって、大抵の人は公の場では余り言わない様にしているのではと思います。問題はお祖父さんの人柄でも悪事でもなく、「公の場で言わない方がスマートである」という点だろうと思いました。
別の場所で、作者は「こんな悪質な勘違いをされて迷惑した」という内容のエッセイを書いているので、攻撃される事に自他ともに寛容と言う訳ではないと思います。全ては有名人故の有名税でしょうが、願わくばお祖父さんについては、本当にごく身内同士で処理してほしかった感情だったかもしれません。 |
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