■アドラー心理学の本を何冊か図書館で借りて来ました。本当にしんどい時は読まない方がいいそうですが、そこまで落ち込んでいる訳でないし、人生の業病みたいなものなので、借りて来ました。
アドラー先生については、毎度おなじみ漫画で分かる心療内科で読んだくらいです。心理学は専門でなかったので、まるで知らない世界です。
課題の分離というのは、日本の国土になかった考えの様な気がします。昨今流行りの自己責任論とは別物でしょう。日本では、「父親が酒飲みで家庭崩壊の危機だから、長女が遊郭に自ら売られに行く」というのが美談でした。多分その金は家族のために使われず、父親の飲み代になるのでしょうが。
働けない程の酒飲みである点は父親の抱えるべき課題だろうし、長女には長女の人生があるというのがアドラー先生の自論かなと思います。でも、「他人、特に目上のために身を投げる」事がこの国の根強い美徳だった気がします。
同じ殺人でも、他人を殺した場合と父親を殺した場合は、後者の方が少し前までは重罪でした。更に前は、火事や事故の際、自分より目上の人をおいて逃げた場合、おいて逃げた事自体へ罰を受けたそうです。
何分素人なので、本を読んでも解釈できるのかどうか不安な面もあります。小説ならどう解釈しても構わない部分もありますが、実践的に心理学を学ぼうと思うとハードルの高さを感じます。何が自分の問題なのか、それだけでもつかみたいです。
■グンマ雑感です。日本の群馬女性は美肌全国最下位だそうです。ガンマ団のグンマ様は、東野圭吾の小説に出てくる女性の様な外見だと思います。ゆでタマゴの様な肌で、つり目がちのスレンダー美女。
・マジックはグンマが小さい時、グンマと話すのではなくて、高松と話していたと思う。女の子の様なグンマなので、身長2メートル前後の巨体の男性2人に目線が届くはずはなく、「グンマは元気かな」「はい、ご健康でいらっしゃいます」的な感じで、会話が済んでいたと思う。
そんな感じで成人したグンマ。果たして一対一で父マジックと会話する事が出来るのだろうか。南国初登場のあたりでは、あくまで「シンちゃん」中心でマジックの全ては決まっていたから、グンマと一対一はお互い難しいのではと思う。
父子二人っきりの緊張の緩和とか、女児の様なグンマと、男児たるキンちゃんの取り合わせがいいとかで、何だかんだと伯父と従兄に呼ばれるキンちゃん。ちなみにグンマが高松と話さねばならない時でさえ、緩衝剤の如くそこにいそう。ラインラントキンちゃん。
グンマは高松といない時の方がグンマらしいと思う。高松といると、どうしても高松に気を遣うし、高松が思うグンマのイメージに無理をしてでもグンマは合わせてしまうと思う。本当は日本刀を振り回す様な男児なのに、いつ、グンマは砂糖の国の妖精さんになったのだろう。
高松とすると、長年本当に案じていたのはグンマの今後でななく、シンタローの進退だったのではと思う。シンタローが幸せであれば、高松の命懸けの犯罪は実を結んだ事になる。
そんなに高松はルーザー様の遺児に熱心だったのかというと、そうなのだと思う。盲目と言うか、高松にとって人生はルーザー様との出会いから始まり、彼の姿が高松の脳裏にない瞬間はなかったと思う。
思えば高松も可哀想な人なのだけれど、その高松に半生をいい様にされたグンマも哀れだと思う。 |
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