■大菩薩峠について考えていました。作者は特権階級より、庶民に共感を覚えていたらしい事を知りましたが、なら何故この小説の主役は武士階級なのでしょう。庶民より色々権限のある階層だから、動かしやすかったのでしょうか。
大菩薩峠は29年間かけてかかれ、未完だそうです。小説の本筋はあってない様なものです。るろ剣や、外のジャンプ漫画を思い出します。ジャンプと言えば友情努力勝利のカッコイイヒーロー達ですが、一方で、人気作品は終わらせてもらえなかったり、色々な要請でキャラが増えていったりします。るろ剣が好きだったので、今でもって増え続ける続編に戸惑います。
大菩薩峠掲載時、まだ漫画やアニメというジャンルは日本にありませんでした。春画等か、文章だけで萌え・燃えられた当時の読み手は、まさしく今のジャンプ漫画の様にこの小説を読んだのかもしれません。だから大菩薩峠は終わる事が出来ず、作者の急逝まで書かれ続けたのだと何かに書いてありました。
漫画やアニメを見る感覚でこの小説が当時読まれていたなら、国語の教科書には載らないかもしれません。何より、「この場面の主人公の気持ちを想像してみましょう」という類の授業で扱えないかなと思います。
■南国高松といえば、過保護なおじさんで全てを説明できそうです。でもグンマに高松の保護が必要だったのでしょうか。ごく幼い時は別ですが、心身共に成長した頃になれば、グンマも高松の大概さを理解していたと思います。
それでもグンマが高松を見捨てなかったのは。グンマの方が高松より、優しく賢かったからかもしれません。今まで育ててくれた恩もあるかと思いますが、する事と言えば仕事か嫌がらせくらしかない高松がグンマを失えば、どんなにか寂しい男になるだろう事がグンマには想像出来たのかもしれません。
高松が寂しい男なのかどうかは分かりませんが、高松は高松の方で、「グンマ様には私が必要」とかなり長い事思っていたと思います。グンマに嬰児すり替えを告白するのも、サビに任せたくらいなので、グンマを実際よりかなり幼く見ていたと思います。でもグンマは高松が思うより、既にずっと大人だった様に思います。
高松は「グンマ様には私がいなければならない」と思いたいとしても、グンマの方も、「高松は僕がいないとダメだなあ」と思っていたかもしれません。高松は基本的に孤独を愛する男なのだとしても、亡くなったルーザー様を思い続けているくらいで、精神的にぼっちでいる事は高松には不可能でしょう。
同時に高松は、グンマには高松など不要である事も、グンマが赤子の頃から知っていたと思います。高松は優秀なベビーシッター、家庭教師、家事使用人だっただけです。グンマには血縁が何人かいるので、グンマに愛を注ぐべき人達はそちらになります。
お互いがお互いに不要で必要、これが共依存というのでしょうか。でも高松は、そんな巣箱の中の様な日々が24年も続くとは夢にも思っていなかった事だけ書き加えます。覇王の息子なんて、目の動き一つで人を殺害出来るのだから、若い高松が赤子のグンマの世話をしながら絶命していたなんていう筋書きは、十分あり得ると思います。 |
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