■忘年会シーズンですが、ガンマ団の開発課では開かれるのでしょうか。忘年会というと日本独自の習慣らしいので、意外とやりそうな気がします。
なんで開発課かと言えば。「一族で会食」「若手で飲み会」等多彩な大小のパーティーがあっても、キンちゃんは「仕事がある」の一点張りで逃げそうだから、グンマが「今度は開発課の忘年会だよ」、と言い出すんじゃないかなと思ったからです。
そう言われれば、キンちゃんは(高松の所に)逃げようがないでしょう。高松自身は偏屈で通っているし、あらゆるパーティーに不参加でもむしろ自然です。むしろ会食となれば、一族や若手とキンちゃんが親しむ機会と思い、喜んで「仕事は私に任せて、楽しんで来て下さい」と言うでしょう。
開発課。
・サビ 無職だけど科学者チームの一員らしい ・ジャン 科学を冒涜する科学者 ・グンマ ガンマ団一の頭脳を持つ男 ・キンちゃん 普通に課長 総帥補佐官兼務 ・高松
いつ見ても、すごい顔ぶれだと思います。高松はジャンが「死んだから」心の整理もしたでしょうが、よみがえるって悪い冗談以外の何でもないでしょう。キンタロー様命で高松が乗り切るのも、いつまでかと思います。
■自分の記憶なんて、曖昧なものだろうと思います。過去、これこれこういう事があって、だから自分は今こうで〜というのを、アドラー心理学は否定すると言いますが、確かに、「根拠」探しは徒労かもしれません。
塵労をひとつ。
もし私が「昔、デブで体臭が強く、近眼で運動オンチで根暗で友達がおらず、その上父親の職業がやや特殊だった故に、同級生の男子全員からいじめられた」として。
多分事実だったと思いますが、大人になると「同い年の異性」というもの自体、周囲にいなくなります。この辺で、自分の記憶が曖昧になって来ます。私をデブ、根暗といじめた男の子達は、もう結婚し、家族を築いているでしょう。
そうなると、全ては自分の記憶違いだったのではという、記憶の改ざんが始まります。神経症によくある、「追い詰められた人」が、「自分は予言者」だとか言い出す感覚に近いのかもしれません。
そこまでの歪みは自分も不要ですが、今、アニメ映画のハイ☆スピードのポスターを見ながら、「そう言えば自分がこの子達と同い年くらいの時(13歳くらい)、何度死のうと思ったか」と思い出しました。
幸い死ぬ事もなく、当時最も欲しかった「学歴と財産」を得ました。どうして「幸せにしてくれる男性」とか望まなかったのかと言えば、理由は上記のとおりです。男性とは医者や教員なら兎も角、単に周囲にいるというだけなら自分には害悪であると、いつしか学んだらしいです。
アニメの世界には、基本的にはそういう意味の凄惨なものはないと思います。誰かの苦労や悲しみが描かれようとも、画面に出て来るのは美男美女だけです。石ノ森章太郎先生が、「ブスが主役の漫画があっていい」と俄然描こうとした事があるそうですが、画面的に不可能だったそうです。
ハイスピの中には、自分の嫌いなものが一つもないのだな、とポスターを見て思いました。 |
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