 ■キンちゃんは高松といると、くつろいでいるだろうなと思います。歴とした家族がキンちゃんにはいますが、一応、彼等には「ちゃんとした姿」を見せようとしているのではと思います。キンちゃんは高松にも、毅然とした姿を見せようとしていると思いますが、色々完敗なんだろうなと思ってニヤニヤします。
■昨日の妄想からの続きです。
兄は諸葛瑾お兄様 父は諸葛桂お父様 (孔明)
兄は孫策さん 父は孫堅パパ (孫権)
自分を三国志の誰かに投影するとして。まさか程普や張昭に自己投影する勇気はありません。孔明や孫権も若手と言っていい方でも、それぞれ一国の宰相、皇帝であるので、赤壁の頃の若さは一時のものです。
そういう理屈は脇において。やはり三国志で楽しいのは、赤壁の頃です。沢山の人命が失われた過酷な時期であったのは分かっていますが、あの乱世の中、自分の意思で決断して動いた人達がいたのだと思うと、不思議と自分も勇気がわきます。
勇気がわくと妄想も沸くので。諸葛瑾や孫策さんを兄と呼び、諸葛桂や孫堅パパと父と呼びたくなります。ただし、早世した策や堅は仕方ありませんが、諸葛一族の冷静さは目を見張るものがあると思います。
瑾お兄様は呉、亮は蜀、誕は魏へと仕える所もバラバラです。瑾お兄様が孫権に仕官した時、一族を呼び寄せそうなものですが、乱世なだけに、血縁でも散らばった方が生存率が上がるとの考えだと、陳舜臣先生の本で読みました。
恐ろしい事に、お兄様の読みは当たっています。孔明のいた蜀は魏に滅ぼされ、お兄様の長男の恪はちょっと大変な事になっています。もし、一族だからといって色々な意味で一致団結していたら、かえって危険だったでしょう。
ただし個別に行動していても、敵陣に親族がいればスパイ容疑もかかる訳で、お兄様の生き方は、ある意味ものすごくお兄様にしか出来ない生き方だったと思います。
これまた陳先生の本で、「策は短気で怒りっぽいから仕えたくない」と暗にお兄様は言っています。なんで三国志が後世の人に読み継がれているのかといえば、こういう人間が見せる「斬れ味」みたいなもののせいだろうと思います。
■あれこれ調べていたら、九州へ行ける様な気がしてきました。空路、鉄道、宿泊等、割引出来るものは全部使っていきます。
シティの熊本開催を知ってから延々プランを考えていたのですが、熊本と言うポイントは絶好で、ほとんど九州の真ん中にあり色々行けそうです。まずはつばめに乗りたいので、博多か鹿児島中央には行くのだろうなと思います。
熊本は漱石観光にも最適でしょう。熊本と言うと三四郎を思い浮かべますが、三四郎自身は福岡の生まれだそうです。熊本が漱石ゆかりの地であるゆえんは、第五高等学校があったからですが、熊本出身でない寺田や、小宮も思い出され、自分の漱石めぐりもここまで来たと思います。
イギリスの漱石の記念館は閉鎖だそうで、流石にそこまでは出来ませんでした。もともと、群馬から東京に向かうだけでも大きな出費で、リアルタイムに博物館等を回る事が出来ません。愛媛に行ったのも、実に興味を持ってから20年くらい経っての事でした。 |
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