以下はどうしようもない雑感です。書き出して、頭の中でまとまればいいと思います。
・アイスクリームについての本にこうあった。アイスのフレーバーは多々ある。しかし人々が好むアイスのフレーバーはバニラ、チョコ等、大体決まっているそうである。何十種類ものフレーバーを開発したという、アメリカのアイスクリーム店の人が言っていたそう。
・先日高崎でパンケーキを食べて、自分が何故このパンケーキにたどり着いたのかと思った。高崎に黒執事を見に行った事もあるけど、「都会的でお洒落で高額で身に余る」食べ物だと思ったパンケーキが、自宅の新聞広告に載っていた事が大きい。
いつも読んでいる朝刊の紙面からの情報なら、精神的なハードルが下がる。おまけに、「ベリーのスフレパンケーキ」「バターとメープルのスフレパンケーキ」しか、広告に出ていなかった。実際は店内に沢山メニューがあるのだけど、この二種しか載っていなかった。
実に分かりやすかった。
「群馬県内の美味しいパンケーキの店」なんて、検索するのも疲れそうなくらいあると思う。しかしたった二種類しか紹介せず、価格も分かりやすく680円。
パンケーキは
・お友達と食べねばならない ・彼氏と食べねばならない
なんて、朝刊には書いていなかった。流行のものを私が不得手とするのは、「仲のいい人と楽しむもの」という世間の前提を感じるからかもしれない。とりあえず、自分のパンケーキに感じるハードルが、下がるだけ下がったのだなと思う。
■ダラダラ書きましたが。
もし、アイスやパンケーキを、目一杯ズラッと人前に並べても、仮にそれらが美味しかったとしても、余り人は手を出さないかもしれません。威圧感というか、商品にこもったエネルギーと、選ぶ方のエネルギーのバランスがよくないのだろうと思います。
選択肢は少ない方が選びやすい・選ばれやすいのだと、どこかで聞いた事がありますが、本当にそうだなと思いました。自分のイベント参加のどの辺に問題があるのか、少し分かった気がします。
机の上に似た様な本が20種類近く散乱していて、会場に来た方へ、何一つ伝わっていない様な気がします。周囲に伝わるのは、何かモヤッとしたエネルギーの濁りだけかもしれません。
この毎日書く、お経の様な日誌だけ見ても、そこかしこに発散されないモヤモヤ・長い嘆息みたいなムードが漂っているのがよく分かります。 |
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