■多分、二次元で誰かが誰かに甘えているのを見るのが、とんでもなく好きなのだろうと思います。
二次元での親子や兄弟でも、力関係や自我のバランス、競合関係等あろうかと思うので、手塚治虫の描くような父子関係が珍しくありません(手塚治虫の漫画には、ラスボスや復讐の相手が父親と言うのが結構あったと思う)。
グンマと高松は、南国アニメまでなら実に理想的な甘ったれと甘やかしだったと思います。高松の数々の振る舞いを今思うと、グンマの自我や人権の存在さえ疑わしくなります。要は、高松の「異常性」を、グンマが「育ててくれた恩」「他に頼る人がいない」等の背景で許していただけなのかなと、最近思います。
(高松は、南国アニメでグンマが島に乗り込んだ時、ついて来ない場合もあったので、一応立場的に上であるグンマに「おうかがい」はしていたんだろうなと思う。)
■くどいですが、まだパンケーキの話です。学生時代はおこづかいがなく手が出ず。県内近隣にそんな店もなく。
「期末試験が終わったから」と母に懇願して食べるか、「デブになる」と自分を戒める。または「父親のお金で美味いもの食べても、不味いだけ」という思いから、パンケーキを食べる気になれませんでした。
進学した大学の内外に、喫茶店はちゃんとあったのですが、親の金で主食以外を口にするのが嫌だったので、店舗に入りませんでした。京都は確かに物価が高いんですが、今思うと、食べ逃したスイーツの事ばかり目に浮かびます。
(※バイトはしたけど、同人の方で使った。結構必死にバイトしたと思ったけど、ノートパソコンを買ったら大体終わり、その後就活で時間がなくなった。)
なら就職した後は。とりあえず貯金しないと将来が見えない思い。家から自分の車で運転できる距離に、パンケーキ店などない物理的理由。同人誌即売会等での乱費で、またまたパンケーキに縁遠い暮らしでした。「このパンケーキの代金は、同人誌何冊分」と思うと、手が伸びませんでした。
特に昔と自分が変わったとは思わないのですが、多分、図々しくなったのだと思います。「素敵な異性と出会えたら〜」という事を欠片も思わなくなったせいもあるのだろうと思います。大体、「異性とパンケーキ」なんて、昔のりぼんなら普通の憧れの場面ですが、彼等にとって食い物は食い物でしかないでしょう。
普通に、もしくは挙動不審のままパンケーキを食べ、紅茶を飲み、会計を済ませた後。グンマはこんな美味いもの、キンちゃんと毎日でも食べられるんだ、と羨ましく思いながら。
自分の出した本も、こんなふうに誰かを喜ばせ、愛されるようにしたいと思いました。 |
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