 ■昔は一日が長かったです。何もしないで一日過ごすと言うのに罪悪感がありましたし、じっとしていると、気分が淀んでいくので理由をつけて出かけていました。
映画とか毎週の様に見ましたが、映画館が遠く、何本見ても、鳥山明にはなれない事に気が付きました。その後は見たいものしか見に行っていません。(鳥山明は若い頃に映画を沢山見たとか)
年を取ると、ボンヤリしていても時間が過ぎる様になったのが恐ろしいです。ある意味過ごしやすくなったとも言えますが、更に非生産的になったとも言えます。
人生のピークは25歳だと誰が言っていました。結婚は10代が普通、子供は作って当然と言う古い慣習は今では撤回されたも同然ですが、生身の人間の体のつくりには合っていたのかもしれません。漱石の頃の大学生は妻子のある人もいました。
女性が高等教育を受け、フルタイムで定年まで働く社会ではありませんでした。女学校在学中でも、「結婚」という理由で退学する女子が多かったそうです。
■シンタローについて考えていました。慣れない事を考えるものではないなと思いました。
結局キンちゃんがらみでしか、彼を理解する事は出来なそうです。原作を読んでずっと気にかかっていたのは、シンタローに飛びかかってくるキンちゃんに対するいなし方です。
ギャグパートだった初期、シンタローに死ね、殺すと言って向かって行った子達は負けています。負けて、辱しめられています。ギャグだからという事もあるでしょうが、植木鉢に入れられたミヤギとトットリ、醜い言葉の応酬があったアラシヤマ。
シンタローに変態扱い以外されない高松、等シンタローに手向かったものは、侮辱されます。あくまでギャグの範囲と言えそうですが、この流れなら、キンちゃんもどんな侮辱をシンタローにされるのか、と思わないではありません。
キンちゃんの場合、登場して日が浅いせいか、罵るにしてもネタが少ない事が言えそうです。シンタローも、キンちゃんを罵ろうとしても、ネタがないのでしょう。しつこい、くらしか思い浮かびません。
これが高松相手なら、中学生の頃からの関係、グンマとのどうしようもない関係をシンタローは知っているから、高松に対する罵倒を五万と思いつくだろうと思います。
あと、シンタローが罵倒しない数少ない男に、サビ、コタローがいます。マジック、グンマ、ハレには適当にあれこれ言う事があるので、気持ちが違うのでしょう。キンちゃんはコタが自分の身内だと登場初期に認めています。キンちゃんとサビも、同じ目の色、同じブロンドです。キンちゃんとマジックに至っては、体つきも似ています。
キンちゃんがシンタローの大切な人達に似ている事が一つ。それと、もしマジックに本当の息子がいるなら、という事でデザインされたのがまさしくキンちゃんだろうから、あの子は白シンタロー=本当のシンタローと呼ばれるべき子だったのでしょう。
シンタローはそれを分かっているから、キンちゃんに腕力で買っても、「どちらが本当のマジックの息子か」という争いには乗らず、その場を去ると思います。あの時のキンちゃんにとって最大の侮辱は、植木鉢に突っ込まれるとかではなく、「相手にされない」事だったので、シンタローの「遠慮」みたいなのは彼に伝わりませんでした。
キンちゃんは一族の特徴をふんだんに持った自分の容姿を、どう思っているのかと思います。便利な事もありそうです。高松もルーザー様に似た青年に対して優しいですが、高松の場合、キンちゃんの言動を見て、ルーザー様に似ていると判断したのだから、面構えだけが導火線ではなかったでしょう。 |
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