 ■キンちゃんが過労で半病人だった時、ガンマ団に看護兼補佐に来たのは高松でした。三年も空席だった高松の異常な復活の迅速さを思うと、陰でキンちゃんと連絡を取り合っていたとしか思えないので、自分はそう思う事にしています。
キンちゃんにとって悩ましいのは、面倒をみたがる高松の存在自体ではなく、彼に頼る事へのプライドの傾きだと思うので、自分の過労と言う、自他ともに認める決定打さえあれば、看護師・秘書代わりに高松を呼び戻すのは可だったのでしょう。
レーダーについては、あの子の事だから、高松に知らない間に漏らしていそうです。高松にすれば、特に何も言われなくても、ガンマ団とキンちゃんの近況など、お見通しでしょう。
困るのはグンマでしょう。自立心旺盛で自尊心の高いキンちゃんあればこそ、高松と自然に距離を置く事が出来たのに、そのキンちゃんが弱っては元も子もありません。
医者だろうと、育ての親だろうとも、嫌なものは嫌でしょう。「ここが嫌」という余地もなく、唯一すがるべきだった「思い出」も、何故高松が、幼いグンマ・ルーザー様の息子と、どこか遠い穏やかな場所で暮らそうとか考えなかったのか思い起こせば、霧散しそうです。高松が最も望んだのは、シンタロー(キンちゃん)の側にいる事だったろうと思います。
■俗に長男気質と言うと、マジックやシンタローの様な、時には皆の母親役まで買って出る様な性格を言うようです。素晴らしい事なのだけれども、母であり父であり、兄であり上司であるマジックから、「見捨てられた」と思って自殺したルーザー様の事を思うと、権力の集中程恐ろしいものはないと思います。
歴史上、権力を中央に集めて成功した例と言うのは、なくありません。しかし日本が手本にしたと言うドイツ帝国ですら、最大の特徴は地方色の豊かさです。日本が手本にしたのはドイツではない、プロイセンだと言ってみても、プロイセンの持つ合理主義や、最先端のものに貪欲だった大王と、大日本帝国は別物です。
漱石の行人に、「兄の一郎は長男なので、最大の権力を両親から塗り込まれた」とかあります。
行人の一郎は好きですが、世の「長男」の持つ恐ろしさは、多分明治期が始まりだろうと思います。日本が「家」だの「世帯」だのにやかましくなったのは、恐らく明治からでしょう。富国強兵に必須なのは、正確な戸籍を作る事です。
我が家の父は長男です。行人の一郎の様に、両親から家中の権力を塗り固められた男です。昔の慣習にツベコベは言いませんが、悪いのは、祖父母が父を長男だからと言ってチヤホヤし、チヤホヤしただけで終わった事でしょう。
長男だから美味しい物を食べさせる、温かい所に寝かせる、等だけ祖父母はし続け、死んでいきました。残されたのは、チヤホヤだけを覚えて還暦を迎える父と、嫌な思いをするためだけに嫁に来たような私の母です。
氷菓で福部がいい事を言っていました。期待とは、絶望が前提の気持ちだとか。長男をチヤホヤし、祭り上げればブタが木に登る的なアレを期待したかもしれない祖父母の思いは、私の世代には絶望でしかありません。
私は父に最早改善を期待しませんし、もう日本が、各家庭の長男を祭り上げても、富国強兵・殖産興業に繋がる事はありません。我が家だけ、WW1くらい日本のまま、列島から置き去りにされた感じです。総力戦は嫌いです。早く戦争が終わります様に。 |
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