■シャーロックホームズの帰還を読んでいます。順序がおかしいですが、この後、恐怖の谷を読もうと思います。本来ドイルが書きたかったのは、ホームズ譚の合間にある大陸の話の様な、壮大なものだったのかなと思いました。
余りに凄惨な家庭内不和の話が続き、久々にホームズを読んで少しパニックになっています。モリアーティ教授は一体何の犯罪の元締めだったのか、自分には想像もつきません。
教授と共に一度は滝壺に落ちたホームズですが、あのホームズが心中とはらしくないと思います。「教授」が何の象徴で、何故あのホームズが自死に似た行為に走ったのか思うとゾッとします。
■グンマのついていないなと思う所は。ひとえにシンタローとキンちゃんと同年同性である点かなと思います。ついていなくもなんともない、2人はグンマのかけがえのない兄弟みたいなものである事に間違いはありません。
しかし、シンタローとキンちゃんは体が大きいせいもあるのか、自分の「取り分」に旺盛です。「与えてくれる人」を疑わないのも共通点だろうなと思います。マジックからの愛情も、ルーザー様と高松からの思いも、彼等は存分に栄養にします。
グンマが色々に懐疑的であるのは彼の知性であり、かつ、小柄さを補う大事な面だろうと思います。グンマなら、慟哭一回で高松が吹っ飛ぶような眼魔砲が撃てたはずなのですが、眼魔砲の「脅威」が物言わぬ時から分かったから、自分で封印してしまっていたのでは。
普通の人でも、兄弟間で全く同じように親や周囲から扱われたというのは、稀だと思います。グンマの場合、周囲にヤケにカロリー摂取・消費の多い男が2人いるのは、損だったと言えなくもないのかなと思いました。
■本人のやる気、前向きさを重視するアドラー心理学ですが。家族構成や生まれつき、性別、出身等によるハンデまで、最初から「ない」とは言わない様です。「ハンデがある、ハンデを感じても尚前進」というのが、アドラー心理学らしいです。
妙なのは、「兄弟の生まれ順」にひどく項を割いていた事でしょうか。人類皆兄弟、皆平等とかアドラーはいいそうなものですが、ヤケにこだわっていたと思います。「兄弟の生まれ順」について、アドラー心理学のどの面から語るかで、アドラーを扱う書籍でも扱わない場合もあるようです。
・長男長女は、弟妹が生まれれば、両親からの愛情や関心を譲らねばならないから、愛情に飢えがち
・次男次女は、兄姉に幼い自分が常に比べられ、ハンデやコンプレックスを抱く傾向がある
・末っ子は両院からの愛と関心を常に集めているけれども、次の子供が生まれれば玉座を譲らねばならないから、戦々恐々としている
等だったかなと思います。欧米だからなのか、「お兄ちゃんやお姉ちゃんは下の子を面倒見なければならない」「弟妹は、兄姉を敬わなければならない」等の発想はないようです。
アジア的家族観って、構成員を絶望の淵に叩き落とす事も多々ありますが、「順列」にうるさい分、どちらかというと上に生まれた方が得とされているのかなと思います。欧米の家族観はアグレッシブに思えます。 |
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