madeingermany

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...... 2017年04月05日 の日記 ......
■ 変わらない   [ NO. 2017040501-1 ]

■歴史物を読んでいると、身一つから、この世の全てを手に入れた様な男が、後年激変するのがよくあります。パッと思いつくのは劉邦ですが、一か八かという緊張感を持っていた若い頃と、何もかも手にいれた時はやはり違うのかもしれません。

グンマを思い出しました。グンマは恐らく、南国の頃から高松のおかしい所に二三気が付いていたと思うのです。しかしまだ若いと言うか幼かったグンマには、高松の手が必要だったのでしょう。当人もそれを分かっているから、最も高松の力を引き出せる関係を保っていたのでは。

南国後グンマは。真実、父親、可愛い弟、頼れる従弟達、権力、財産等色々手に入れました。もう高松に遠慮しないで、好きな事してほしいと思います。でも高松から「お好きな事をして下さい」と仮に言われたら、グンマは怒っていいと思います。歴史上の成功者の様に、グンマには振る舞って欲しいです。



■南国とPAPUWAで、マジック(とシンタロー)だけは変わらないなと思いながら。漱石の随筆を思い出していました。

直接その随筆を本で読んだのではなく、漱石全集の解説部分に一部が収録されていまして、全集のその巻を読むたびに触れていたものです。



漱石が京都に出かけた時の事。赤いぜんざいという文字や、古い建物を見て、漱石は「変わらない事が寂しい」と言ったそうです。漱石の時代の東京府と京都ならそんなに違わないと思いますが、流石に文明開化真っ盛りの東京人のものの見方でしょう。

全集の解説では。「古都京都に対し、1,000年あっても変わらないのが寂しいという漱石は、精神的に参ってた」とあった気がします。普通は京都に来ると、その古さを喜ぶものだという価値観は自分も分かります。




漱石の場合、英国滞在の経験等から、「変わる事が寂しい」とも言いそうな気がします。最新鋭の国家であるイギリスを見ても寂しく、故郷である東京も寂しく、観光地である京都まで寂しく見えるのは、もう漱石の持病ではないかと思います。

「門」では、夫婦で演芸を見に行ったのに、妻の様に楽しめない夫が寂しがっています。寂しいのは漱石の持病で、大学教授をしていても寂しい、自宅で小説を書いていても寂しい、弟子が大勢いても寂しい、奥さんと夜を過ごしても寂しい、子供が数多生まれても寂しいと漱石は言うでしょう。




最近原稿をしていて、どうしてもキンちゃんが高松の持病である人恋しさみたいなものを解消できないなと思ったのですが、漱石も高松も同じかもしれません。

何を見ても、そういう心の動きしか出来ない場合はあるのだと思います。漱石は分かりませんが、高松なら、キンちゃんが憤慨したら許しを請いそうではあります。「俺はお前に謝れとは言っていない、とキンちゃんが再度憤慨して、延々そんなことしていそうです。

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