madeingermany

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...... 2017年04月20日 の日記 ......
■ 坊っちゃん   [ NO. 2017042001-1 ]

■言葉遊びなのですが。高松はキンちゃんをキンタローと名付けました。緑川氏の言う様に金髪でシンタローから枝分かれしたようなキャラなので、キンタローです。もしかしたらキンちゃんは庚申の日の生まれで、名前をつけるなら魔除けの意味で金という字を入れるといいと、高松は知っていたのかもしれません。



■行人に一郎が何故、二郎と直を一泊させたのかという謎があります。公式な見解は恐らく、「自分と直と言う夫婦は、嘘ばかりで冷え切っていてもう駄目になった。二郎は直が好きで、直も二郎が嫌でない様だから、新しい真実の夫婦を誕生させたい」、と一郎が考えたからだとされています。

ロマンチックで、悪く言えば頭でっかちな一郎らしい考えです。直が一郎と離婚して、一郎の弟である二郎と再婚すれば、周囲が何と言うか分からない一郎ではないでしょう。余程、精神的に来ていたのだろうと思います。



しかし漱石作品の男達なら、特に中期の男達は、大体人の妻でも、友人の恋人でも遠慮しないのが普通です。二郎も例外でないなら、直を本当に兄から奪う選択もあったでしょう。

二郎がそうしないのは。多分あくまで直は兄の妻であり、自分には責任がない女性であるという、不真面目な気持ちの方を二郎が優先しているからでは。

あと、一郎にとって当時二郎が最大の「理解者」であり、二郎も、家族の中で唯一一郎に親しみを見せていた事から、お互いがお互いに自己投影していて、既に漱石得意の3P状態だったせいだろうと思います。(代助・平岡・三千代、先生・K・静、先生・私・静、外3Pとしか言いようのない三人カップルが漱石には多い。)




■今まで読んだ漱石作品への評論の中に、こんなのがありました。坊っちゃんと言えば江戸っ子の坊っちゃんが、姑息で汚い周囲のベテラン教師達や、「田舎の」暴れん坊な中学生達と、取っ組み合いの喧嘩をする、痛快な話であるが。全て、坊ちゃんの被害妄想ではないか。

初めこんな評論を読めば、びっくりします。坊っちゃんの語りを信じて坊ちゃんを読むのだから、坊っちゃんの被害妄想だったと言われても信じられません。



しかし坊っちゃんの性格を思うと。彼は余り人の話を聞きませんし、母親が亡くなった時の描写など母子ともに冷たいものでした。こんな坊っちゃんが、人間関係が密である田舎に行って、無事教員がつとまるのか不安になります。

団子を食った、蕎麦を食ったと冷やかされて怒りだす坊っちゃんですが、そこまで怒る事あったのでしょうか。折角世話を焼こうとしてくれた山嵐ともほぼ険悪な関係でしたし、上司である校長と教頭には全く心を開いていません。

清が坊っちゃんは正直だと言うから、こちらも坊っちゃんを信じますが。あの坊ちゃんが、東京での暮らし、四国でのわずかな教員生活を、正視出来ていたのか自分も怪しく思う様になりました。




坊っちゃんという作品の良さを疑う事はありません。しかし行人を読んでいると、一人語りの作品の持つ不安さはあるなと思います。

兄の性生活を凝視し、兄嫁に「無邪気に」性的関心を向ける二郎に、おかしな妄想がないと言えるのでしょうか。何でもない兄と兄嫁の毎日を疑い、自分の好む様に彼等の生活を曲げて見ているのでは、と少し思いました。

二郎をうがって見ても仕様がありません。しかし、こころの私といい、二郎といい、余所の夫婦に「なんで子供が出来ないんですか」と正面から聞くのはやめた方がいいと思います。一郎と直の場合なら、一郎の神経質過ぎる面を見れば、理由は明白だろうと思います。漱石は、英国留学前に既に三人もの娘がいましたから、子供のいない夫婦が珍しいのでしょうか。

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