■キン高、ルザ高を二次創作していると。特に小説では、今まで読んで来た小説、漫画、アニメ、学校で学んだ事、社会人になってから経験した事、全てを動員する必要に駆られます。
学者と言うのに憧れた事がありますが、自分には学者先生になるのも無理だと思ったのが高校の時です。憧れだけで済ませていたものを、どうにか引っ張って来ないと、ルーザー様、キンちゃん、高松の生活は妄想出来ません。
学生の頃、時々英国趣味に憧れて、無暗にそんな本を読んだ事が役に立つ日が来たのかもしれません。(ハレの英国籍発言は、多分原作者が一時的にサッカーブームだけだったと思う)
元がギャグ漫画だからいいじゃないと思う事も多々ありますが。高松が医者で科学者で教員で(この辺は普通かも)。養護教諭で趣味が園芸で、需要によっては軍事機器の開発まで手掛ける男なので、二次創作するにしても気が抜けません。理系で恋愛脳で香川人で、頑固で感情家で、ルーザー様父子が大好きな高松が大好きです。
■漱石の行人を読んでいます。後期三部作の真ん中の作品です。彼岸過迄で、どうしても愛し合っている千代子と結婚しない須永を書いて。行人では、妻を中心として人間不信になって苦しむ一郎を書いて。
最後、こころの先生に至っては自死しています。Kは寂しいから死んだのだという先生ですが、先生の死の向こうには、Kが待っていたのでしょう。死んでKに会える先生は幸せなのかもしれません。
行人は難解な小説なのだそうです。漱石の女性不信は、猫や坊ちゃんの頃からあからさまです。結婚と言うものにも否定的です。それからの代助の様に、スパスパしていれば主題が分かりやすいですが、一郎の様に内向きでは、読んでいて非常に疲れます。
内向きの一郎、どちらかというと外交的な二郎と行人にはいますが。仮に直が一郎と離縁にこぎ着けて、二郎の妻になっても、直は幸せではないと思います。
一郎は傲慢な男ですが、二郎は二郎で傲慢です。こんな時代なのに結婚できない妹のお重を小馬鹿にし、下女のお貞さんにセクハラまがいのお愛想を振りまき。お兼さんには彼女と岡田の夫婦生活を批評するような事を平気で言います。
二郎がそんな軽い男だから、直もいい加減に付き合えるのでしょう。直は賢い女性なので、一郎が嫌なら二郎に乗り換えればいいんだとは思わなかったと思います。ですが、義父母からは「義弟とやたら親しい」、義妹からは「夫より義弟が好きらしい」、三沢も同様の見解らしく、直の不貞疑惑は一郎以外からもあるのです。
直はやりきれないでしょう。行人の大阪から帰ってのストーリーは、直と二郎のセックスを伴う不義(心理的にはとうに彼等は不義である)、一郎の「俺の言った通りだろう」という態度、神経衰弱の悪化による一郎の死、直の自殺、ふてぶてしいままの二郎、等実は盛りだくさんだったのかもしれません。
漱石は病気のせいで、行人の物語を煮え切らないまま、Hさんの書簡に託したと言われているそうです。そうかもしれませんが、自分は、一郎ほど漱石の思想信条に近い男はいないから、一郎可愛さに、漱石の筆が緩んだのだろうと思います。
自分の分身である一郎を、妻からの肉体を伴う裏切り、家族への不信感程度で殺したりする気に、漱石はならなかったのではと思います。 |
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