■夏コミのネタについて考えていました。原稿作成期間はルーザー様のお誕生日、父の日とルザ高、キン高的に美味しい時期です。
高松が無性に嬉しそうだから、やっと自分の思いが通じだのだと感激して同調するも、高松はルーザー様の思い出に浸っていただけという、どうしようもないキン高は、自分のデフォかなと思います。
既刊と内容が被ってはあれなので、夏コミのネタは「マジックと手芸」にしようと思います。父の日だから、マジックに手作りで手縫いの刺繍入りのテーブルクロスを作る、グンマ様(とキンちゃん)。
グンマ博士なら可愛い手芸のプレゼントを作りそうです。ですが案外飽きて、キンちゃんに放り投げて、大きなテーブルクロスの縁模様が父の日までに仕上がりそうになくて、高松という小人を召喚するキンタロー様。
(マジックへのプレゼントならシンタローやコタローも何か考えると思うけど、マジックは子供ごとに喜び方が異なると思う。
無条件に雀躍するシンタローの場合。喜ばないとシンタローが怒るから、しっかり喜ぶコタローの場合。グンマの場合はグンマが自分が傷つかない様に、「科学者チームからのプレゼント」とかにしそう。やっぱり高松が縫い上げそう。)
■手に届くところに女性学の本があって、何冊か読んだ事があります。高校大学と自分が専門だと思っていた歴史学が、登場人物からしてほぼ男子しかない有様なので、自分なりにバランスを取ろうと思ったのかもしれません。
どの本だったかは忘れましたが。男性と言うのは生まれた時から、世の中の人間の半分より上の立場であると自任しているとありました。確かに、今は違うらしいですが、学校の名簿等を見ても男児が常に先にあり、女児は男児の名前が呼び終わった後、申し訳なさそうに呼ばれるのが普通でした。
体育祭や文化祭等でも、女児がピアノやお稽古的な事をお披露目し、「花」として場の盛り上げに協力しても、陸上競技だの、成績上位者だの、推薦進学だの本当の「実」は常に男児にあった様な気がします。自分は腹が立ったので、紙の上の成績だけは負けなかったと思います。
家族内でも、女児はいつかヨメに行き、いずれ他家に尽くすものとして生まれても喜ばれず。多少成績がよくても、頭のいいオンナは嫁に行けない、可愛くないと言われ。
男児が生まれれば、後継ぎだ家を守る子だと、狂気に近い歓喜を見せるのが普通だった、あるいは今も普通なのでしょう。女児が不公平だ、不平等だ、自分だって男児なみにチヤホヤされたいと言い出しても、親はそのアンバランスさを認めないと思います。
色々振り返ってみて。以前読んだ女性学の本は、そんなに間違っていなかったなと思います。田舎だから、頭が古いからオトコ至上主義なんだろうとしても。結局時代が平成29年になっても昭和の昔でも、「オトコというのは、生まれただけで世の中の半分より上の地位にいると自負する」というのはあると思います。
自分が女性学の本を読んで得た感想を、打ち破る様な恋愛をしなかった事。素敵な異性のパートナーを得ようと努力しなかった事、言い訳は沢山ありますが、今でもって女性学への反論は自分には出来ません。
何故私がネクタイやスーツ、コート型白衣という男性的なアイテムを好みながら、モノホンの異性を好きじゃないのか、この年になって理由が分かりました。自分も「単純に」男性に生まれて、世の中の半分の人間(つまり母や姉妹等の家族を含めての女性達)を、見下ろしてみたかったのかもしれません。しかしそんな愚かでおぞましい事、やりたくないなと近年思います。 |
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