■JR東の豪華列車が話題になっているようです。乗車にドレスコードがあるレベルの豪華さです。サンライズ瀬戸・出雲も豪華な方だと思いますが、姫路あたりに来ると車窓から路線の駅の景色が見えて来て、ふとシワだらけになった寝間着でいる自分に我に返ります。サンライズにドレスコードがなくてよかったです。またどうかしてサンライズに乗りたいです。
■明日は人間ドックです。バリウムを飲むのは出来る方だと思いますが、来年からしばらくは職場の簡易な健診でいいかなと思います。
■南国&PAPUWAの原作者について考えていました。あまり突拍子もない事は考えたくないのですが、気持ちの整理に書きます。読んでいて不愉快にさせていしまったらすみません。
原作者は実感出来る事が好きなのかなと思う。実感と言うと難しいけれども、自分は歴史好きで、どうして何百年も昔の男達の軌跡に燃えるのか自分で不思議になった事がある。本を読んで想像して、恐らく理解して興奮していたのだと思うけれど、これは「実感」とは違う喜びなのだと思う。
高松がルーザー様を思う時は、これまた「実感」とは遠いと思われる。何十年も前に亡くなった人をしのび続ける訳で、段々故人についての思い出を精査する事が不可能になり、高松にとって快いものに変わっていくのかもしれない。
仮に高松がルーザー様の事を性格から業績、家族関係、彼の価値観等明確に記憶していても、受け取る高松の方が年齢や環境で変わる事もあろうかと思う。いくら高松だってキレやすいルーザー様に最初から心酔していた訳ではないだろうし、ルーザー様の生前から、高松の思いもまた変化していたのだと思う。
自分や高松は、多分「実感」に疎い方なのかもしれない。好意を持った相手に素っ気なくされて、ワーワー言いだすアラシヤマの方が余程現実と向き合って生きているのだと思う。
アラシヤマではないけれど、最も「実感」しにくいのは他人の気持ちかもしれない。アラシヤマに対して敬意や愛情、友情を抱く人はあると思うけれど、アラシヤマにはそれが見えないから、シンタロー一直線になってこじらせるのかもしれない。
実感するしないを実に見事に使い分けているのが、グンマとトットリなのかなと思う。彼等は悲しい愛の亡者にはならないし(ごめんアラシヤマ)、自分の空想だけで喜んでいる様な(これは高松と竹淵だと思う)事もないと思う。
実感100%みたいな生き方は、ミヤギやマジックなのかもしれない。生来的に握りしめている若さ・美貌・財力・求心力等で、「寂しさ」から無縁そう。・・・南国とPAPUWAの原作者の性格に誰が一番近いかと言えばハーレムと言われているそうで、こんな日誌にクドクド書かなくともよかったかも。
(ごめん高松)高松や竹淵の様に、はっきりと長所・人から愛されるチャームポイント等を持ってない人は、多分「実感」とは遠い暮らしなのかもしれない。
(否、高松は十分愛されるに値する男だと自分は信じる。キンちゃんは生まれたてのヒヨコみたいに、高松が好きで、いくらか大きくなってもまだ高松が好きだと思う。ルーザー様は言わずもがな高松が好きだと思う。) |
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