■ネームを書いていました。ここまで高松が愛されていれば彼も本望だろうと思いました。ですが根本的に青の一族と高松では身分が違うので、愛情の多寡は恐らく直接の解決には結びつかないでしょう。
マーカー達特戦や、ミヤギ達若者が、どんなにハレやシンタローと「親しく」とも、一族の晩餐には出ない・出られないと思います。団員全員参加の宴会とかなら、あれですが。・・・・だからハレやマジックは、どうしても「ワイワイ」を演出するのかもしれません。
ルーザー様にそんなコミュニケーションスキルないので、高松は「自分ばかり彼を追っている」寂寥が永遠にありそうです。キンちゃんがもし高松を一族の晩餐に呼びたいと思っても、「グンマの感情」「キンちゃんの地位」を思って高松は来ないと思います。
■近所の図書館は2階に成人向け図書、3階に絵本等の子供向けの書籍が置いてあります。自分が主に向かうのは2階ですが、何かの拍子に3階に行く事もあります。
大人だと知的武装して事に挑むので、書籍から受ける恐怖を減らす事が出来ますが。子供向けだとダイレクトに本がメッセージを出すので、チラ見しただけでゾッとする時があります。
その図書館は出来たのが割と遅く、私の家からだと車か電車でないと行けません。もし幼少期にその図書館で様々な本に出会っていたら、トラウマになったろうものが多いです。
■若い頃。アニメや漫画で、「だるそうな」キャラを見るとよくカッとなりました。竹淵が「真面目だから」ではありません。
私もダラダラして、自分のペースで生きていたいのに、私が苦手な事も、嫌いな事も、それをするくらいなら死んでやると未熟な心で思った事も、そのアニメや漫画のキャラはスルーして、ラクに生きている様に見えてカッとなったのです。
今となっては、竹淵が自分の生き方に責任が持てず、自分よりも立場が強そうなもの、偉そうなものに平伏してしか生きられなかった、弱いからだというのが、30過ぎての結論かなと思います。
そのアニメや漫画のキャラが、結局どういう人だったのか、今となってはよく分かりません。周囲の親切な指摘を無視するアホな子だったのか。自分の道を、どんな不幸や苦労が待ち構えていても突き進む勇敢な子だったのか。または、非常に達者に空気を読む子で、少々の「指摘」なんてかいくぐれる智者だったのか、もう分かりません。
近年有名な「だるそうな(※あくまでイメージです)」キャラと言えばおそ松達六つ子ですが。自分も年を取ったせいで、楽しく見ていました。あれ、逆にニートで、同じような青年6人が顔を突き合わせて暮らす方が、社会に出るより余程しんどいのではと思います。
長男、次男〜末っ子という立ち位置は、自分達で数十年かけて作って来た関係性だとしても、家から出れば多分無効です。恐ろしくもろい六つ子のアイデンティティですが、最終話まで主に兄弟同士の話で突っ切ったおそ松は偉いと思います。
だるいとは違うと思いますが、ヘタリアのイタリアはヘタレです。イタリア軍がヘタレだからヘタリアですが、そう言えばイタリアを見ていてムッとした事はありません。ドイツとのコンビがよかった事もありますが、ヘタレで何が悪いとも思いました。 |
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