■高松はキンちゃんが幸せになるなら、何でもすると思います。ただし目指すは高松が思う幸せなので、若干キンちゃんの願望とずれそうです。高松はキンちゃんに、シンタロー、グンマ、マジック達と仲良くなることを切願していると思います。
自分一人がグンマを独占していた様な日々を、決してグンマにとって幸せなものではない、と高松は思っていたのではと思います。
過去ルーザー様が、一見兄弟睦まじく暮らしていたかのように見えて。ちょっとしたことでマジックから死を賜った事を高松がどうとらえていたのか想像出来ます。青の一族において、不仲は死に直結します。キンちゃんが心から、血縁に大事にしてもらえる事を高松は望んでいるのでしょう。
「俺にはお前がいればいいんだ高松」とか、昔のグンマの様な事をキンちゃんが言っても、高松は受け入れないと思います。嬉しいくせに。
■女は減点方式で相手を見て、男は加点方式で相手を見がちだと聞いた事があります。ビジネス本等だと、「自己評価は加点方式で」なんて言うらしいです。私は大体自分に対して、減点方式だろうなと思います。
加点方式を自分に使う場合。多分恐ろしいのは、「何々しなかった」「何々してくれなかった」という内外からのクレームに対し、無理解になりそうな点でしょうか。
その人にとって自身の全てがプラスなのだから、「席を譲らなかった」「お金を出さなかった」等「やってない」事は採点外になるのでしょうか。本人に多大な平安をもたらしそうな採点方式に思えます。
■漱石でリアルなものと言えば道草ですが。道草で書かれている漱石の私生活に近い物語なら、結構他の解説本等でも読めます。行人は、長く続いたドラマの最終回を見る様な気分です。漱石のよくない所がふんだんに出ていて、作家漱石の偽らざる何かがよく見える気がします。
以下、何回目かの行人雑感です。
一郎は直を馬鹿にし、殴り、第一子の娘以降、子供を作っていない様に思える。
一郎にすると、 馬鹿にする=女としての直を理解したつもり 殴る=直の反応を見ている 子供を作らない=本当の愛、セックスを夢見ている
のかなと思う。直との関係は冷え切る所まで冷えたというより、学者で変人の一郎に、直が諦めきっているのだと思う。当時の男女間に平等というものはあり得ない、女は周囲の男を慰撫できなければ、生きて行かれない時代なのに、直の真意とか本当の気持ちとか妄想して一人苦しむ一郎に光明はないと思う。
行人の恐ろしい所は。門の米と宗助の事が漱石の頭にあるのか、「姦通の全て」を漱石が一時書こうと熱をあげていたのではないかと思うくらい、直と二郎を「真のカップル」としてもてはやそうとしている描写が多い点だと思う。
一郎二郎の母は、二郎と直が談笑したり、お菓子など一緒に食べているのを見ると、不愉快になるという。その上一郎公認で、直と二郎が外泊すると聞けば、母は死にたくなるだろう。
結局行人は、どこにも辿り着いていないと思う。長野家は相変わらず凋落の一方であるし、一郎は家に帰ってこない。姦通の先にあるのは転落しかない、と漱石の良心は分かっているからあの終わり方なのだろうと思う。谷崎の様な(谷崎的に)だらしない甘美さは似合わないのだろうと思う。行人は、妄想家漱石の限界を見る思いである。 |
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