■毎年、夏コミの原稿は6月にとほとんど終え、7月の第一週には入稿していました。世間での夏休みが始まる前に、旅行なりしてしまおうという自分の作戦でした。職場でも子供さん達の休みが始まってしまうと、お母さん達も休みだすので、勝手がよかったです。
今年は旅行の同伴者が「夏は暑い」という理由で旅行が先延ばしになり、勢い入稿もまだしていません。暑くて旅行が延期になるなら、暑くて表紙が描けないという事もあり得る訳で。
数年ぶりに暑い日に原稿をしています。大部分は終わっていますので、「暑い」ネタの原稿はスパークに回るのだろうと思います。10月頭ではまだ暑いと言えるので、可でしょうか。
■三四郎で、与次郎が広田先生を栄職に就かせようとする場面があります。外国人の教授をいただくのはやめて、日本人の先生を招こうという与次郎の運動は、ある程度までは形になります。
しかし、何故招かれるべき日本人の先生が、広田先生であるのか。与次郎は十分周囲に説明できないだろうなと思います。与次郎は広田先生ありきで運動しています。しかし広田先生の長所は与次郎にはよく分かっていたでしょうが、周囲の学生には未知も未知です。
こういう漱石の初期作品らしい、抜けた所が好きです。後半の入り組んだ物語も好きですが、サッと描写が流れていくカタルシスが好きです。
■漱石信者です。鏡子さんの果てしない苦労や、意味もなく漱石に泣かされただろう子供達を思うとそんな事言えませんが、こんな暑い日に、若い時分こころを完読した記憶は鮮やかに残っています。
ちょっとだけ読んで寝ようと思ったら、先生が下宿先の軍人の未亡人の娘にオドオドし、女達から逃げる様にKとの同棲を始め。奥さんとお嬢さん・先生・Kの三角関係のくだりは今読んでも手に汗を握ります。
当時とはいえ、男女の間は先生の言う様に隔たったものではないのではと思います。漱石以外の作家の当時の作品を読むと、性に奔放でいい加減な人は結構います。漱石の場合、育ての母の影響が強いのかもしれません。
漱石の義母は事情があってお金に困っており、女中が無駄使いしたと疑っていつも怒っていたそうです。実家に戻っても、実母は祖母と言ってもおかしくないくらいの高齢で、漱石の場合、甘えられる妙齢の女性と言うと、義姉が初めてだったそうです。
甘えると言っても義姉なので制限がありますし、漱石の作品における窮屈さはこの辺から始まっていそうです。それからの代助の窮屈さは極まっていて。どんな女性でも迎えられる裕福な家なのに、好きになった女性を友人に与える奇異な心遣い、その女性三千代が既婚者であっても、熱烈に愛している奇妙さは説明がつきません。 |
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