■月曜までに、グンマ博士の小説をもう一個書こうと思います。可愛いグンマ様なのか、日本刀を所持していそうな復讐鬼グンマ博士なのか分かりませんが、落ち着く所はPAPUWAのグンマなのだろうと思います。
南国最後のグンマは、「家族の中の僕」を確認中という感じでしたが、PAPUWAでは何かがチューニング済の様に見えます。
きっとグンマは、南国までは高松を鏡の様にしていたのだろうと思います。高松が認めるものをグンマもいいと思い、高松が嫌だと思う事は、自然にグンマも嫌だと思う様になったとか。
(否、南国の頃も高松とグンマは合わない所もあったろうし、価値観が違う所もあったと思う。ただ表面化しない様に何故か高グン間で折り合っていただけで。それを人は愛と呼んだのかもしれないし、単に高グンという小さな寄り合い所帯は、「本気で話し合う」とかさえの衝撃に耐えられない、華奢な家だったのかもしれない。)
■放浪記を読んでいます。冒頭だけやや具体的で、後は独白が続きます。ヒロインの職業も住まいも、付き合っている男性の有無も、子供がいるのかどうかも分かりません。自分はお芝居の方を見た事がないので、ひたすら文面を追います。
出て来る地名で分かりやすいのは、鹿児島くらいです。都内、近郊の地名はほとんど分かりません。恐らく読んでいる人には明瞭な事が、私にはわからないのだろうと思います。戦後の混乱期的なものを文章にしたものと言えば、自分は水上勉、荷風、谷崎(時代的には同じだけど谷崎はなんか違う)、等男性のものしか思えば読んでいません。
理屈っぽい文章は、整頓されているとスラスラと入るので読みやすい時もあります。しかし放浪記は、注釈も現代語訳もない平安時代の古典の様な書きぶりです。男がいて、飯を食べて、働いての繰り返しです。男がいて、飯が食えて、職場があるのなら、彼女は貧乏ではないのではと思うのは自分の浅はかさだろうと思います。
何故ヒロインがこうも転々を男を替え、住みかを変え、職場も、友人も変えているのかまだ分かりません。多分、一日一日読むより、一気に読むべき作品なのだろうと思います。冒頭に近い方で、九州で父母と暮らしていた様子はまだイメージ出来ましたが、ヒロインの放浪の理由が自分は読み取れませんでした。
浮雲の方も悲惨な女性の人生でしたが、放浪記もそうなのだろうと思います。多分、まだ十分ヒロインに同調して読めていないのだと思います。日文って、志賀や宮沢賢治の様に、超が着くほどの金持ちの男がするもの様な気すらしていた自分は、最後まで放浪記を読むべきです。
(知っても知らなくてもいい事だと思うが、文豪、主に男性の私生活とか知ってしまうと作品が読めなくなる時がある。当時の男性としては平均的なものだったのだろうと思うけれど、本当に知らなくていい事が多いと思った。大金持ちなのに落語家になりかけた荷風の人生は極端すぎてあれだけれども、息を吸う様にあれこれやる文豪が多い印象がある。) |
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