■グンマ博士の放浪記を書いていました。グンマ博士に行商をやったり、貧乏暮らしをしたことは無いと思いますが、彼が精神的に落ち着くまでを書けたらと思っていました。
悩みって、解決すればいいものではなくて、気にならないようになる事が大事だと誰か言っていました。体の悩み、生まれの悩み等ならそうかもしれません。グンマの場合、高松が与え続けた特権意識みたいなものから、逃げられればしめたものなのかなと思います。
グンマに与えられた特権って、グンマに彼が特権を持っている事を教えたのは高松だと思いますが、高松がいなくなっても、グンマに権利は残ります。
■旅行先で、歌碑や文学記念館的なものを訪ねるのが好きです。沢山は出来ないですが、昔から愛されてきた土地なのだなと思うと行ったかいがあります。
直江津の港近くで、林芙美子の碑を見ました。放浪記の一節が碑になっていました。他、新宿区にも林芙美子記念館があります。行ったことはないですが、瀬戸内海の観光案内など見ていると、やはり林芙美子、林芙美子とあります。鹿児島を旅行しても、林芙美子とガイドさんが繰り返し言っていました。
温泉地に行くと、戦国時代の武将が負傷した部下のために源泉を整備したとか。平安時代に、さる高僧が庶民のために温泉を掘ってくれたとか、色々聞けます。同じ感覚で、国内旅行をすると、林芙美子という名前にあたります。
林芙美子は、戦国武将か、宗派を築いた高僧並みの著名人であることだけ、自分は先に学びました。康成にはまっていた時も、「康成は林芙美子が亡くなった時、弔辞を読んだ、康成は交際の広い人だった」と林芙美子の名を目にしました。
こんなに別の所で、林芙美子、林芙美子と目にしてしまうより、気になった時、早目に何か読んでおけばよかったと思います。放浪記が出来たのは、女史が流行作家になる前の事だそうです。苦労している時代の話であるのが主なのは当然としても、「大作家」「女流作家」として大々的に評判を勝ち得た姿を先に見ては、素直に読めないかもしれません。
放浪記を素直に読めないのは、余りに手の込んだ描写であるから、フィクションかと思ってしまうからかもしれません。作家と呼ばれるようになった女史が、苦しい時代でも綿密な日記をつけていた事はうなづける話ですが。
外の男性作家が、「大金持ちの息子なのにわざわざ貧乏暮らしをしている」「精神的主張のため、あえて清貧生活を選んだ」「妻子がいてもいなくても、原稿料を飲み代か別の事業で霧散してしまう」とか、自分の「ダメさ」を売りにしている様な人が多いので、林芙美子も当時そうだと思われた、自分もそう思ってしまうのかもしれません。
作家と作品は別、と放浪記を前にして思っても、康成の弔辞の内容通りの人生だったのなら、やはり放浪記は前半生を赤裸々につづったものと言えそうです。フィクションだとしても、女給、女中生活なんて取材しても書けない部分があると思います。 |
|