■放浪記を読むと高松という地名が時々出て来ます。林芙美子と言えば尾道ですが、四国に住んでいた時期もあるそうです。
何年か前に高松へ旅行に行った事があり、二次創作の際にイメージを時々拝借しています。山暮らしの自分には海沿いの暮らしを想像するのが難しいですが、夜行特急の車窓から見た瀬戸内海の美しさは生涯忘れないだろうと思います。
■昔のジャンプ漫画ではセクハラ、パワハラが普通にあったと思います。星矢あたりで女性読者の存在が捨て置けなくなった頃から、女性の目も意識され出したのではと思いますが、昔だったなあと思う描写が結構あります。
更に昔、先日読んだ林芙美子の放浪記、浮雲ではセクハラの場面が多いです。それが当時も普通だったからとしか言いようがありません。女性はニコニコと受け流すしかなかったという事情は、放浪記を読んでいてもよく分かります。
相手の「おふざけ」「コミュニケーション」をグッとこらえていても、心の中で罵倒している様が分かります。自分も女だと言うだけで、嘘だろと思うような事は若い頃なくなかったです。なんでこんな事この男の人は言うのだろう、するのだろうと思っても、自分が若い女で、相手がいいおっさんだからとしか言いようがありません。
康成や荷風、谷崎の書く女性も、腹の中は放浪記なのだと言えば、世の男性は興醒めするだろうなと思います。どんな作家が思う美女も放浪記と同じ、したたかで気の置けない事を考えているだろうと思います。だから、林芙美子が亡くなった時、康成は周囲に鎮静を求める様な事を言ったのかもしれません。康成だけは、自分の書く彫像の様な女性達が、絵空事であるのを分かっていたのかもしれません。
■喫茶店と言えばコーヒーを飲む所ですが。純喫茶という言い方があるのを、長年不思議に思っていました。御飯も食べられる所が喫茶店、コーヒーのみ出す店が純喫茶なのだろうと、適当な事を考えて解釈していた時もありました。
谷崎の痴人の愛や、細雪に出て来る女給さんがいるのが、古くはカフェ、喫茶店で、荷風が行きそうな場所です(荷風はどんな高尚な贅沢も出来るだろうに何故)。風俗店だから、本当にコーヒーを出す店を純喫茶と呼んで、区別する必要が出来たそうです。
CLAMPのレトロ可愛いイラストで、和服の上の白いエプロンドレスのものがあったと思います。金持ちのおじさんのために働く訳でなく、単に「可愛い」と思って眺めたいものです。 |
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