 ■シンタローは、ガンマ団をどう思っているのかと思います。多分シンタローにとってガンマ団の国体は、マジックその人なのだろうと思います。マジックは老舗旅館の大女将、シンタローは若女将みたいなものでしょうか。
シンタローの場合、(非常に劇中で稀有な事に)マジックを信じています。マジックがどれほど非道でも、何か理由があったからとか思ってくれるのがシンタローなのでしょう。ミツヤさんが生きていたら、「ガンマ団の黒い部分はミツヤのエゴ」とか、父子でミツヤさんを攻撃するんだろうなと思います。
シンタローはガンマ団の武装の軽減、経営方針のソフト化、及び「黒い」部分の排除に乗り出します。多分全部無理か、シンタローの知らない何かが周囲に増大するだけだけだろうと思います。
ミツヤさんではないですが、高松もハーレムも、特戦三者も。自分の仕事にプライドをもっていただろうと私は思います。プライドがあるから、皆、(素直に)シンタローに合わせたのかなと思います。シンタローが思うガンマ団の本体はマジックその人でありますが、結句、ガンマ団とは、高松達ミドルより上の人達の仕事の成果だろうと思います。(新)総帥に求められないなら、彼等は決して力を披露しないでしょう。
■雨が続きます。昔は雨が好きでした。嫌いな体育の授業が中止になる事が多かったですし、疲れるだけの部活動も室内での体操に変わる事がありました。(地域的に中学校に文化部がない。吹奏楽部他はあったが、楽器なんてもっと無理)
昔家が農家でした。雨さえ降ればお手伝いに駆り出される事もありませんでした。家で本を読んでいても、大人しく勉強をしていても、体育会系を愛好する人が家にいたので、有無を言わさず出動を命じられました。雨様様でした。
大学に進んで一人暮らしをすると、雨で困る様になりました。マンションの部屋は、田舎の大屋敷の様なスペースがなく容赦なく湿気がたまりましたし、スーパーに行っても帰り道で買った食材が濡れました。洗濯した衣類も乾かず、泣きそうでした。サークル活動も雨で不自由になります。
雨を喜ぶのは子供、雨で不自由を感じるのが大人なのかもしれません。雪と同じで、降雪に目をキラキラさせるのは子供か、スキー場の人か、観光関係の方。そうでない通勤等で定時に屋外に出る人は、雨雪に困るでしょう。精神的には晴天より雨天曇天の時の方が安定する気がしますが、今日も洗濯が乾きません。困っています。
■からくりサーカスを読んでいます。鳴海がギイの手術で義手をつけ、物語に復帰してきました。しろがねと勝の舞台は日本国内を移動していますが、鳴海は軽井沢からフランスへひとっとびです。こういう急展開を読んで、そのうち説明してくれるのかなと思いながら、からくりサーカスの場合は気にせず長い物語の海へダイブしたくなります。
序盤の人形の様と言われる、しろがねの美しさは勝が言う様に悲しいものですが、悲しささえ絵になるから、安心して読めるのだろうと思います。
笑う・笑わない、笑顔か笑顔じゃないかという、自分が先日から考えている問題は、からくりサーカスの中ではかなり明白に描かれているなと思います。勝は対面している相手が微笑んでいても、作り物っぽい場合は自分も感傷的になります。また勝に笑顔を見せたキャラも、ここは漫画なので、誰も見ていない所で泣いていたりします。
現実の世界では、とんまな私は対面している人の笑顔の意味が読めず。漫画ではないから、どこにも「「この人は一人でいる時何を考えているのか」などとは描いてありません。からくりサーカスを読んでいると、自分の問題がみるみる氷解していいく様な錯覚を覚えますが、要は視点が違うのだろうなと思います。
ギイのオリンピアが飛んでいく姿を、漫画なら下からその翼の大きさが分かる様に、仰ぎ見る視点で見る事が出来ます。そんな一瞬の美しさに酔わせてくれる、いい漫画だと思います。 |
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