■私が好きだった人は軍師でした。その場の全てを掌の上で把握したような男でした。三国志の面白さはゲーム的な面があります。しかしやっている事はあれだよなあとふと思い、前ほど無邪気に読んでいません。
高校生くらいの時は、「孔明に側室がいた」と真剣に驚いていました。40歳過ぎて初めて子供が出来た孔明ですから、その妻は当時であれば妊娠出来ない年齢だろうと思います。そうでなくとも、名もなき側室は誰にもいます。もし自分が三国志で例えば曹操を最初に好きになっていたら、多分殺戮と謀略と女性問題の激しさに驚きはしなかったでしょう。
自分が南国&PAPUWAの陰惨な面に鈍いのは、初恋の人達がやってきた事に慣れ過ぎたせいかもしれません。数万の兵士を行列に並ばせ、油分と火薬と炎で一斉に焼死させたとか(南蛮行)。疫病が流行って病人の多い船団を鎖で固定して動けなくさせ、風の強い日に放火して人も船も全焼とか普通にありました(赤壁)。
(ただし孔明の饅頭の話もある)
■からくりサーカス20巻を読み終えました。この内容の濃さで折り返しなのだから、残り半分のボリュームもすさまじいです。パンタローネ達が美味しくなるのはこれからですし、エレオノール、アンジェリーナ、フランシーヌ人形の物語も、まだ語られていません。
からくりサーカスを週刊で読むのは、大変だったろうと思います。一話一話が入魂であり、読む方も魂を燃やして、一週一週続きを待たねばならないのですから。
久米田漫画に、時々藤田先生作品のパロディが出て来ます。せっかち伯爵の時は、藤田先生御本人がモデルだろうというキャラが出て来ました。ご本人の「感じ」は意外とファンキーなのかもしれないと思いました。
以下あくまで20巻までの妄想です。妥当ではない感想も含まれています。
・しろがねと勝ってなんだろうと思う。濃厚な筆致で何度もしろがねと勝の描写が20巻まで何度もあり、20巻以降でも、昔の物語とだぶらせるようにして、しろがねと勝の描写が続く。
しろがねを「ただの綺麗な(優しい)女」と一番思っているのは、勝なのではないだろうかと思う。自分に対し、誰かに言われたからとか、服従心から等ではなく接してほしいというのは、勝のエゴだと思う。
しろがねを団長やノリたちの様に、一人の芸人として見るもよし。ヴィルマやリーゼの様に、同性のサーカス仲間として付き合うのもいいと思う。しかし勝は最もしろがねを分かっていないと思う。
またしろがねも、勝を余り理解出来ていないと思う。「勝といれば人形から人間になれる」とう暗示が、勝との関係の発端だからと難しいとも言えるし、年下の異性の考える事なんて、どう考えても分からないと思う。しろがねはよく素っ裸で勝の前に出て来るが、サービスシーンだからいいようなものの、しろがねが勝を「理解」していたら多分しないと思う。
しろがねが勝を鳴海の様に異性と思うはずはなく、ギイと一緒にいる時の様な安堵もない。しろがねと勝は、もっと短い話で、ギュッと絞った描写で読めば疑問も沸かないだろうけれども。
勝の、しろがねに「幸せになって」「笑顔になって」とか言って、子供らしからないオトナぶりを見せていたのに、イケメンで何でも知っていそうなギイ一人出て来ただけで、パニックになるなんて、ある意味そこらへんの大人より激しいエゴイズムだと思った。勝と言えば「誰かのために怒る」だけれども。そんなに誰かが誰かの事を、明確に全て理解出来るはずはないと思う。 |
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