■からくりサーカス43巻を読み終えました。この物語、区切りと言うものがほとんどなく、一方では仲町サーカスの興行があり、一方ではミンシア達の登場がありと、視点も舞台も変化が激しいです。
コミックスで、「からくりサーカスは難しい」という指摘にショックを受ける藤田先生の絵がありますが、本当にそうだと思います。自分は読むのが二回目で、何となくまとめサイトや、人様の感想ブログなど読んでしまったのでつっかえずに読みましたが、初見で追いつける自信はありません。
自分も初めて読んだ時は、話を追うのが精一杯でした。阿紫花がよかったのと、ギイとアンジェリーナの話が好きだったのは覚えていますが、その前後を整理できていたかというと無理でした。コミックスに粗筋や人間関係図がありますが、あれを見ると余計混乱します。
以下、雑感です。
・後半、鳴海がエレをいじめるのだが。周囲には比較的おとなしいし、子供達を大事にするの点は前の鳴海と同じです。ギイに対しても、友情はそのままの様です。多分鳴海は、エレに甘えていたのではと思います。
鳴海が弱音を吐いたりできる人は、基本的にはいません。辛い事を我慢して進もうという漫画のヒーローなので、鳴海は窮屈に生きています。エレに対してだけ、ストレートではないにせよ、変な言いがかりをつけて八つ当たり出来たのではと思います。
鬱憤の矛先になったエレが可哀想でならないのですが、男の理想を支えるのが女、みたいな風潮が藤田作品にはなくないので、鳴海のイジメに耐えるのがエレの真骨頂だったのかもしれません。
・ギイが三牛父子に自分の過去を話すのだけれど。アンジェリーナの体を手術し、赤子に移植して持ち帰ると言うのは、仕事だった。そんな非道な事を請け負い、実行しようとしたのはギイの罪ではないと思う。
(アンジェの体から石を取り出し、生まれた赤子に入れなければならなかった。妊娠中のアンジェに何をどうするつもりだったのだろう。もし胎児を取り出しても、それは死産と同じだから、冷たくなった体に石を入れる事になる。
生まれたエレに石を移植するだけなら、母子は離れ離れになるけれど死ぬことは無い。少年誌的に、子供を死産に追い込んでまでどうこうするとは考えにくい。)
ギイが一番悔やんでいるのは、仕事や石や赤子の事ではなく。アンジェリーナが死んでしまった事だと思う。ギイが仕事だと言って、アンジェに挑み、雨天のなか妊婦さんにあるるかんを使わせる暴挙に出なければ、アンジェの体力は多少もっと残っていたかもしれない。
黒賀村で過ごしていたギイは実に可愛かったので、何十年も悔やまないで欲しいのだが、ギイにしてみれは幸せな時間であり、あまりにそれは短かったのかもしれない。しかもその後、ギイはしろがねの本部に延々嘘をつき続けた訳で、ギイの心は休まる時がなかった。
(ギイの苦渋をルシールは分かっていたと思う。分かっているけれど、アンジェリーナが幸せな結婚をした事、生まれた娘も幸せに暮らす事をアンジェが願っていただろうから、ギイの嘘を黙殺したのだと思う。ギイにギイを好きになってくれる女性とかいなかったのかなと思うけど、どうなのだろう。他のしろがねは、しろがねになる前に家族がいた場合があるけどギイは。) |
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