■人は見返りがないと動かないと言ったのは、黒執事だったと思います。ソーマ様がミーナを追ってイギリスに来た時、ミーナは自分の意思で英国に来た、あんたの召使なんてもう沢山と言っていました。
ソーマは王宮で見ていたミーナの笑顔や優しさを取り戻したくて英国に来たわけですが、彼女にはソーマ云々より自分のステイタスの方が重要だったようです。アグニの様に身分の高い生まれで、あえてカーンサマーになったのは例外でしょう。
玉の輿に乗ったミーナが悪い訳でなく。あえて辛い召使になったアグニが間違っている訳でもなく。ミーナの真意が読めなかった、インドで召使をしていた時のミーナの苦痛に気がつけなかったソーマが若干幼かっただけで、まとまった話だったと思います。以下、またからくりサーカスのギイの話です。
・何かしたら見返りが欲しいと思う。中学校の勉強の様に、ある程度努力したら、90点とか取れる世界が好きだ。しかし高校大学、そして社会人となって、何か「頑張った」から何か手に入るという明快なシステムはなくなった様に思う。
腹立たしい事に、テストで満点を取って褒められると言う事が高校以降なくなると、別のもので補おうとしてしまう。友人関係の充実とか(自分の性格の歪みから)とても無理で、恋人なんてましていなくて。見えない何かといつも闘っていた。今にして思うと、闘う相手は常に我欲だったのではと思う。
いつも同人では、主人公でもないのに身をていして亡くなっていったキャラ達に関心が向いた。親兄弟でもないのに悟飯をかばって亡くなったピッコロ。無茶な技をしかけてきたのは紫龍なのに、紫龍をかばって散った山羊座のシュラとか。彼等の無念を想像し、自分が今抱えるやりきれなさと重ね、一人で暴れていた。
しかし今にして思うと、ピッコロもシュラも自分達の死が無念だったとは思っていなかったのではと思う。無念なのはやり残した事とか、もっとかばってあげたかった人にあれこれしてあげられたのではという思いに対してであり、己の死に対して四の五のいう人達ではなかったと思う。そういう人達だから好きになったのを、自分は自分の不満ばかりあげつらね長らく忘れていた。
からくりサーカスのギイを見ていると、何か今までの感情と違うものに襲われる。エレオノールは「自分は不幸の固まり」みたいな事を時々言うが、貴女にとってギイは何でもなかったのかと思う。エレは鳴海と再会し、再び恋に身を焦がす。当たり前だが彼女の心にギイはカケラもない。
なんでこう言い切れるのかというと。エレは鳴海と再会し、鳴海がギイと出会っていた事を聞くが、ギイが生きている事を鳴海に言わなかった。ギイの生死より、鳴海の変貌の方のカウンターパンチが大きかったのだと思うが、彼女や鳴海のなかのギイはそんなものである。
ルシールや阿紫花は、ミンシア、平馬達に思い出してもらえるが、ギイと出会った事を今後の人生で懐かしく思う人物はいないだろう。ギイの態度が大体そんな感じだし、ギイの本心を知るキャラは劇中に存在しない。ギイの宝物だったエレにせよ、彼女にとってギイは単なる指導員程度の存在だったと思う。
なんだかなあと思うが、アンジェリーナと正二がエレと縁を切った形になっているので、実父母を越えてギイがエレに近づくことは無いと思う。マリーから生命の水を受け取った事、しろがねになってアンジェリーナから柔らかい石を摘出しに来た事、全てギイは誰かのせいにしないで自分の事として受け止めているので、今更蛇足的に、「みんなでギイの功績をたたえよう」とか思えない。感謝されると変な顔をするのがギイだから、自分も余計な事が言えない、好きだギイ。 |
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