■群馬県の碓氷峠鉄道文化むらが、存続ピンチだそうです。鉄道のテーマパークなのでジャンル的には埼玉の鉄博や、京都鉄道博物館と同じなのかなと思います。
文化むらの目玉は、なんといってもアプト式でしょう。風立ちぬで主人公が乗っていた、レールが三本ある、勾配を上るパワーのある電車です。
北陸新幹線(長野経由)に乗っていると、碓氷峠は通過したのにさえ気が付かないでしょう。自分も幼少の頃の「国鉄」の記憶がなければ、よく分からなかったと思います。(JRは1987年発足、竹淵6歳。信越線横川〜高崎は1997年廃止、竹淵16歳。長野オリンピック・長野新幹線開通時の盛り上がりならまだ記憶にある。)
■まだ、からくりサーカスの雑感です。真剣な話、相手に報酬を要求しない愛と、痛みや苦しみを面に出さない事の意味を、ギイに教わった気がします。スパッツア戦のギイが好きです。
後半のフェイスレスの分身の様なディアマンティーナ達の傍若無人な「愛」を見ていて、(余りに人らしくて)恐ろしくなりました。痛みや苦しみについても、例えば鳴海が子供達の前で苦痛でギャーギャー言ってしまったら、子供達の絶望感が増加し、救うどころではないでしょう。
・幼いエレには正二もいれば、ギイもいた。記憶はないが、優しく美しい母アンジェリーナもいた。祖母のルシールも健在である。
しかし劇中の外の「実の家族」の扱いは、あまりよくない。実の家族と言えばリーゼとその双子の姉だが、リーゼは死ぬまで姉と仲が悪いままだった。白銀と白金はもともとは仲のいい実の兄弟でも、女性関係で関係が砕け散った。
才賀の家は全員他人である。家族と言う形をウソでも作ってしまう貞義の悪魔の様な所業は、そのまま例えば鳴海と師匠みたいな、精神的な親子関係の反証なのかもしれない。(阿紫花さんちみたいな、血縁がなくても関係が良好な例もあるけど)
兄さんだから信じるとか、お父さんだから信じるとかでなくて、相手との関係について、自分の中で熱烈な「意味」が必要なのかもしれない。本当の親兄弟の中で、熱い「意味」が見つけられればいいけれど、大体駄目なのかなと思う。梁先生とミンシアみたいな関係は例外なのかも。
ギイにも裕福な両親がいた。馬車でギイを病院にいれるくらいだったから、相当裕福だったのではと思う。(ただし昔の事だから、基本的には自宅療養・自宅看取りだったと思う。幼い息子を永遠に入院させたギイの両親は、文字通りギイを遺棄したとも言える。)
ギイがアンジェリーナに心を開いたのは劇中のとおりだけど、その後、正二とギイでエレを守ろうと言う事にはならなかった。エレに待っていたのは、土蔵への幽閉と、しろがねになるためのきつい訓練、ギイとの放浪みたいな旅、サーカス生活、ととても大金持ちの正二の娘とは思えない暮らしだった。
エレに金持ちの暮らしをさせるのは、正二にもギイにも本意ではなかったのだろうと思う。財産があって、両親が健在なら幸せなのかというと、ギイは否というと思う。人間に必要なのは何かって言えば、伴侶なんだろうなと思う。ギイは自分がエレの伴侶になる事は考えなかったのだろうか。
エレがギイを異性として愛せば、多分そうなっただろうと思う。しかしエレはギイを異性としては愛さなかった。エレは、鳴海と愛し合うようになった最終回以降は、ギイの事なんて生涯一回も思い出さないだろう。しかしエレの愚直さ、真面目さ、表に出にくい優しさ等はギイに似ているなと思う。どうせ鳴海は、エレとギイを結びつけて思い出すことは無いと思うけれど。
女の子にとって大事なのは、父母でも故郷でも仕事でもなく。配偶者と配偶者との子供なのだろうと思う。アンジェリーナがそうであるし、アンジェリーナを故郷と仲間から引き離したルシールも、そう考えていたと思う。ギイはエレにとって、記憶のかなたの故郷なんだろうなと思う。
鳴海が実母を思い出さない様に。ギイの愛するママンが実母ではなくアンジェリーナであるように。エレは自分がかつて住んでいた巣箱の様なギイを忘れていいのだと思う。 |
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