madeingermany

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...... 2017年09月06日 の日記 ......
■ おいこっと   [ NO. 2017090601-1 ]

■カルナイのライブについて考えていたのですが。カミュが愚民と言います。他ののしる事の多いキャラと言うと。

ナデシコのルリ「バカばっか」
ヘタリアのオーストリアさん「このおバカさん」
高松「頭悪い奴は死んでください」
(※風小次の蘭子の名台詞に「バカは殺す」があるが、あちらは女子の可愛さがある。高松の場合相手の自滅を願う意味合いなのでタチがよくない)

ルーザー様「本当にどうしようもない馬鹿だよ、おまえらは」
エヴァのアスカ「あんたバカ?」

何となしにツンデレ要素というか、ルリ、オーストリアさん、アスカの場合、罵る相手への愛情を感じます。カミュの場合もまえぬさんが愚民と5回くらい罵倒してくれて、大盛り上がりでした。(まえぬは素なら絶対言わない)ルーザー様も、「一族内外で殺し合い続けるのは馬鹿だ」という意味合いなら、愛なのかなと思います。

高松の場合、グンマやキンタローには大体丁寧です。愛ある罵倒とか出来ないでしょう。高松の場合、罵倒は罵倒なんだろうなと思います。(ルーザー様について「気にくわないとすぐ攻撃して、思い通りにならないと気が済まない」と高松は言うが、あれは純粋に分析だと思う。)



■以前、飯山から観光列車おいこっとに乗ったのを思い出していました。おいこっとという名前は、TOKYOを逆にしたOYKOTであるそうです。東京の反対を経験してみようという電車でした。

(正確には飯山線は電車ではなく、気動車。ディーゼルエンジン、軽油で動く。パンタグラフがない。)

田舎である事を最大限に押し出した、素晴らしい電車でした。「東京でない」というのがこんなに楽しく、魅力的であると思いませんでした。自分も田舎暮らしですが、面白いもの=都会のものという意識がどうしてもあります。

以下、妄想です。独断と偏見です。


・南国&PAPUWAの原作者の作品の面白い所は、メーターの針が振り切られた所にあるではと思う。アラシヤマみたいなキャラの場合、いい加減途中で、「皆と仲間になれた」という展開がありそうなもので、他の作家の作品なら、そこでカタルシスを出すと思う。

しかし何故かアラシヤマはアラシヤマのままだった。他の作家の作品なら、コタローについても何らかの救済を考えたと思う。



南国の原作者の場合、最終巻でマジックがコタを抱きしめている絵が答えだったかもしれないが。あれではコタが何も納得出来ないというか、2メートル近い屈強な大男に子供が羽交い絞めにされ、呼吸困難等で昏睡、4年間生死をさまよっていたと言われてもおかしくない。

高松やルーザー様、ジャン、サービスにせよ、存在自体がデッドラインを越えているというか、安心安全と真逆の人達だと思う。そういう汚い大人達の対として、清い子供達キャラがあるのかもしれないが、パプワやくり子ちゃん、コタの世界は、高松達の世界と地続きではないと思う。



南国&PAPUWAに文句があるのではなくて。多分大半の人は、常にデッドラインを切った所にいるしかないのではと思う。大体の事はいつも遅すぎるし、改善していく時間も気力もない。グンマやキンタロー、シンタローと言う何も知らない無垢な世代に期待し、自分達は汚く、疲労したままなのかもしれない。

乙女系みたいな、明るく愛にあふれ、幸せで一杯な世界が好きだ。パプワとくり子ちゃん、ウマ子ちゃんの周囲はそんな感じだと思う(コージは妹思い)。あの(色々ぶっ壊れた)高松が、そんな清らかな人達に癒されて過ごす場所、それが南国&PAPUWAなのかなと思う。ルーザー様との思い出だって、キンちゃんと一緒に楽しめば総天然色だと思う。

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