madeingermany

[PREV] [NEXT]
...... 2017年09月20日 の日記 ......
■ 裸   [ NO. 2017092001-1 ]

■マジックはミツヤの写真を今見ても破るくらい、彼に否定的です(ルーザー様にも似た様なものだ)。故に補佐官、しかも一族内の男を身近に置くのは忌避していた向きがあります。(ハレは例外)よくキンちゃんが、多分ミツヤの次の補佐官になったなと思いました。とっくに廃止されたポジションかと思いました。

粗暴だったキンちゃんですが、粗暴なだけで悪い子じゃないと伯父さんは思ったのでしょうか。シンタローを殺す殺す言っていたのはほぼ全員の刺客も同じですが、本当にシンタローを殴ったのはキンちゃんくらいだったと思います。

キンちゃんが伯父さん達に受け入れてもらった理由の一つは。高松の熱湯の様な愛情が、キンちゃんのあく抜きの役目をしていたから、だったらいいなと思います。



■明治の頃、日本の庶民を写した写真が欧米に出回ったそうです。芸者さんの綺麗な写真などは分かりますが、庶民の暮らしに何故関心が向くのかとおもいました。

当時海外から来た人を驚愕させたのは、混浴の文化だそうです。男女一緒に外湯等に入るのが普通だったそうですが、「異なる」文化「異なる」女達のブロマイドが売りさばかれたのだと思うと、嫌ですが想像出来ます。

しかし何故、男女の混浴が普通に行われていたかというと。江戸時代の落語に出て来る銭湯は男女別なので、風呂の全部が全部混浴だった訳ではなさそうです。




「設備を整える余裕がない地域だから」に尽きる様です。今の温泉地でも混浴を掲げる所は少なくありませんが、今日昨日混浴なのではなく、古い湯治場故に拡大工事等を行えば源泉によくない等あり、男女別の時間差入浴で対応している所もあります。

山の中で浴槽を維持するのは困難で、二つ作る余裕がないと言われると納得出来ます。誰が好き好んで混浴に入るでしょう、風呂には入る必要があるから、異性がいても仕方なく脱ぐしかないというのが本当だったのではと思います。当時の欧米人には、日本の娘は無償のストリッパー集団に見えたのでしょうか。



くどくど書いたのですが。自分の家は昔薪で沸かした五右衛門風呂だったそうです。現代的な風呂、寒くない脱衣場等が欲しいと昔世帯主に相談したら、「昔は、屋外で裸になって風呂に入るのが当たり前だった」と一喝された事があります。世帯主は今も、異性でも裸や下着を見せ合うのが「家族」だと信じています。

誰が屋外で、人に裸を見られて風呂に入りたいのでしょう。血縁であっても異性に体を見られるのは嫌です。世帯主は屋外で立小便をするのが大好きで、雪の日でも屋外での排尿を選ぶ男です。通行人に下部を見られてもいいのでしょう。誰も見たくないのに。



「昔の女性の暮らし」とかの本を読むと、どうしてこんな生活を送っていたんだと思う事があります。彼女達も好きでやっていた訳でないんだろうなと近年思う様になりました。紫上も出家して、魔物の様な源氏など捨ててしまいたいと願いながら亡くなりました。自分の思う人生を生きたいなら、浮舟の行動力が必要なのだと思います。

冒頭に書いたブロマイドの庶民の娘も。好きで当時の外国人が喜びそうな扇情的な暮らしをしていた訳でも、写真に写りたかったわけでもないでしょう。ただアホな世帯主や、周囲の男達が決めた道徳に従って生きていくしなかっただけなのでは。

...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: